今日の感情は今日の内に書いて消す

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

また地震があった日の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

午前中、また地震がありました。

 

おととい(2日)は、富山が震源だったけど、今日は福井。

 

石川飛ばされた?

 

ここらあたりじゃ、揺れは大したことなかったけど、福井では震度5だというから、すごい揺れたんですね。

 

こうした、さほど被害の出ない震度で揺れて、エネルギーを放出して、大地震がなくなればいいのに。

 

ため込んでため込んで一気に開放!なんて、やめて欲しいです。

 

人間の、負の感情なんかもそうですよね。

 

些細な、プチイラつきとかちょっとした怒りを手放さないで、胸の奥あたりにため込んで、何かの拍子に爆発させる。

 

時には、周りにも迷惑をかけたり、事件になったりしますから、こまめなガス抜きは必要でしょう。

 

「怒り」などの破壊的な感情をコントロールすることは、自分だけでなく周りの人間関係にも影響しますから、これも一つの環境問題と言えましょうか?

 

ため込むよりは「はなす」、この場合は「放す」と「話す」。

 

その2つを一気にしてしまえるのが「書く」ということになりましょうか。

 

人に「話す」と言っても、身近に愚痴を言い合える人がいなかったり、相手の都合もあるでしょうから、自分がマイナスの感情を吐き出したい時に、すぐそばにいつもいて聞いてくれる人を探す方が大変。

 

「放す」にしたって、「忘れよう」と頭では思ってもなかなか頭から消えてくれない時もありますよね。

 

というわけで、精神衛生のためには、「書いて」「放す」が手っ取り早いでしょう。

 

今日感じたマイナスの感情を、明日以降に持ち越さないために、紙に手で書いて「供養」しましょう。

 

日記と違うのは、丁寧に書く必要もないし、何なら残す必要もない、というところでしょうか。

 

普段の手帳や日記帳、メモ帳なんかに書いてもいいですが、あまりにも感情がおさまりつかん!という時には、別紙というか「いらない紙」に殴り書きをするのも全然ありです。

 

文章になっていなくても、相手の名前の連呼でも、気持ちを表す言葉の書き連ねでも、わけのわからないぐるぐるでも、何でもオッケー。

 

手帳などはともかく、殴り書きの方は、気が済んだら捨てて、区切りをつけるのが一番。

 

場合によっては、また思い返していやな気分になることもあるでしょうが、自分の内側に問いかけて、何が欲しいのか、どうすれば落ち着くのか、聞いてみてもいいでしょう。

 

ぶり返すとは言え、2回目はさほど激しい気持ちにはなっていないでしょうから。

 

書く、という行為には、気分を整える力があります。

 

それはおそらく、字を書く時間が関係しているのかもしれません。

 

今日あった嫌なことを誰かに「話す」時は、言葉が次から次に出てきますよね。

 

特に興奮していると、言葉を選ぶとか吟味なんてしてられません。

 

勢い、言葉のマイナス度がエスカレートして、その言葉を自分でも聞いてさらに興奮するものだから、言葉もひどくなるし、感情のマイナス度も高まりっぱなしです。

 

でも、字を書いていると、気持ちを表す言葉を書き連ねようとしても、どうしても「時間」がかかります。

 

その言葉を自分でも見ているので、「いくらなんでも言い過ぎ」とか「頭にきているとはいえひどい言葉だなあ」といった、興奮を抑えるような考えが浮かぶ余裕が、かすかにではあれ、あるように思います。

 

なので、悪口などを書いているとはいえ、冷静さの方へ引き戻す力も生まれてくるわけです。

 

今日自分に起きたことを「書く」という行為には、時間が経っている分「俯瞰」という余裕が生まれている。

 

そしてその余裕が、気持ちをいささかでも着地させてくれるのでしょう。

 

書くことで、冷静な自分に戻れるのです。