手帳はライフログであり、時間を探し出すツール
こんにちは。
てらぴーだよ。
明日は晴れて欲しい夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
一雨ごとに涼しくなっていくような日々。
夏が、遠ざかります。
手帳は今や、ライフログ。
スケジュール管理のみといった、ビジネスユースを超えています。
仕事とプライベートを分けて書いている人もいます。
分けて書けるような手帳もあります。
仕事用と自分用に、2冊あるいは複数の手帳まで使う人もいますよね。
あるいは、仕事のスケジュールは、スマホなどのデジタルで、プライベートは手書きの紙の手帳で、という使い分けもよく目にするところです。
ですが、仕事も自分の生活も、どちらも自分の人生なのだから、一緒に書いても構わないと考えます。
スケジュールのバッティングは、自分という体が一つなのだから、原理的には起こらないのではないでしょうか。
ある日の同じ時間に、自分が会議室とオフィスに、同時に居るということができないのですから。
同じ日の同じ時間に、二つの、あるいはそれ以上の違う予定を入れてしまう原因は、書き分けたから、というよりは、手帳をよく見ていなかったからではないかと思うのです。
けれども、予定を書く場所が複数にまたがると、体が空いているのかどうかを確かめるのが、煩雑になって、見落としもしやすくなるのでしょう。
したがって、予定は一か所に集約したほうが何かと簡単です。
見やすいし、とにかくここになかったらない、という原則を貫けます。
そうやって、自分の毎日の記録を一元化していけば、どんな生き方をしているのかも、はっきりしてくると思うのです。
仕事は、単なるスケジュールではないはずです。
何をしたのかの集積でもない。
そのことを通して、実現したいことがあるはずですし、これまでに実現できたことがあるはずです。
自分は何をしてきたのかを顧みるためにも、手帳のライフログ化は必須でしょう。
自分が日々取り組んでいる仕事が、この社会のどこにどんな風につながっているのか。
折りに触れて振り返ってみることも、意義のないことだとは言えないでしょう。
そして、プライベートがどれだけ充実しているか。
仕事疲れを取り去るだけの休日になってはいまいか。
気をつけないと、スマホみたいに、バッテリーがなくなりそうだから充電、なくなりそうだから充電、と繰り返しているうちに「定年」となるかもしれません。
いや、変化の激しい今の時代では、スマホのモデルチェンジにも似て、「定年」を待たずに「社会」から引退する可能性も十分ありうる話だと思います。
そう考えると、どこにも「安定」はありません。
諸行無常。
常に同じではなく変わり続けるのです。
個人も社会も、会社でさえ。
ですから今は、お勉強がブームなのだと思います。
「これからこうしたらいい」という正解をだれも持ってはいない。
あの通りにまねをすれば安泰だ、そんなモデルはなくなりました。
したがって、そこから導き出されるのが、
自分の頭で考える
ということなのでしょう。
ものごとを考えるにしても、知識を蓄えるにしても、先人の知恵に学ぼうとするにも、「時間」が必要です。
その「時間」をどうやって見つけるか。
それが手帳の、大きな役割なのかもしれません。
1週間や1か月を俯瞰して、自分が自由になる時間はどこか、まとまった時間はどこかスキマ時間はどこか、時間を探すツールが、手帳なのでしょう。
手帳の活用は、そのまま、生活の活性化につながると思います。