今辛かったら、「白い紙」を用意しましょう

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

食べすぎなのかどうにも体が重たい夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

お昼ご飯、そんなにたくさん食べているわけでもないのに、午後の調子が上がりませんでした。

 

いつもなら、野帳などをガンガン書いているはずなのに、どうにも言葉が出てこない。

 

その時々の思いとかをできるだけ残そうとしているのに、頭が回りません。

 

でももしかしたら、その頭の回転のふがいなさは、体や心の不調からきているかもしれず、「今日は頭が回らない」とは単純に言えないのかもしれません。

 

頭体そして心の複合体なのですね、僕たちは。

 

よく、「三位一体」などと言いますけど、その三つはそれぞれに独立したものではなくて、互いに力を及ぼし合っている。

 

なので、日記を書くにしても手帳を埋めるにしても、野帳やノートを書き散らすにしても、頭体心が同じ方向を向いていてほしい。

 

「何も書くことがない」と思ったら、その今の自分の「何も書くことがないと思っている自分」を俯瞰して、実況中継してみましょう。

 

「書けない」「書くことが思いつかない」と思っているけど、今どんな気持ちでいるのか、どんな感情なのか、それはいつからなのか、さっきと違って別の感情になっているのだとしたら何があったのか。

 

体はどうか、何か違和感はないか、暑いとか寒いはどうか、どこかかゆいところがあるとか、そういう体の「センサー」を働かせて、体のあちこちをスキャンしてみる。

 

表には出てきていないものの、何か気になっていることはないのか。

 

考え事のそのすぐ後ろに、何か困りごととか不安がひっそりと流れてはいないか。

 

そんな、全身スキャンを頭部分、体部門、心領域に分けて、実行してみるのです。

 

心配事が見つかっても、いきなりそれに集中しないで、まずそれはコントロール可能かどうか考えましょう。

 

自分では、この時点でどうにもできないのだったら、放っておくしかありません。

 

例えば、明日何かのイベントがあって、そのお天気の具合が気になって気になって仕方がなくても、お天気はどうにもできません。

 

いくら悩んでも、晴れるときは晴れるし雨が降るときは雨になる。

 

雨が降るのが分かっていて、あるいはもう降っていて、傘を忘れるのなら自己責任ということもありえますけど、自分の思い通りに天候はコントロールできません。

 

そこはもうあきらめるしかない。

 

そうやって、自分が抱えている問題点をいくつかの「部品」に分けて、コントロールできるところできないところに腑分けするのです。

 

そして、コントロールできないところはきっぱりと忘れて、コントロールできる、自分の思い方やり方で変えられるというところを「悩めば」いい。

 

不安とか悩みというのは、知らないうちに、自分が考えているそのすぐ後ろに、あるいは感情のすぐ裏側に、まるで川の流れの底流のように、忍び込んでくるものです。

 

なんとなく頭が働かない、これといって原因もないのに心が重たい感じがする、そんな時は、ノートなどを広げて、できればコピー用紙のようなそこそこ大きめの白い無地の紙に、自分の今の状況を、もう一人の自分か、自分の最高の相談相手(実在してなくてもオッケー)に書き綴ってみましょう。

 

書き方は自由、どこから書き始めてもいいですし、単語だけでもいいし、イラストでも構いません。

 

浮かんできた言葉をあちこちに書き散らすのもありだし、ぐるぐるしたかったらそれも書いてみる。

 

そうやって、「白い」紙に向かって、心や頭、体を意識していくと、何が原因だったのか、自分は何をしたかったのか、見えてくると思います。

 

手がまるで自動書記のように、訴えてくるのです。

 

紙は「神様」、白い紙(神)が、あなたを浄化してくれるのです。