メモには、大きく分けて、二つの種類があります
こんにちは。
てらぴーだよ。
文化の日の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
何も文化らしいことが起こりませんでした。
ロジカルシンキングではなくて、直感力を鍛えようと、美術への関心が高まっていると聞きます。
正解を出す力ではなく、問いを鍛える力が求められているのだとか。
例えば名画を鑑賞して、ありきたりな関連知識、誰か書いたのかとか、いつ頃の作品なのか、どんな手法が用いられているのか、同じ作者でほかの作品にはどのようなものがあるのか、同時代のほかの作家は、といった事柄を覚えるのではなく、この作品のどこに引かれるのか、この作品から何を感じるのか、作者はどのような思いで作成したと考えるか、この作品を他の人にどのように伝えるか、この作品からどんなインスピレーションを得たのかあるいは得なかったのか、などなど、言ってみれば「正解のない問い」に応えようとする頭の働かせ方を鍛えようということなのでしょう。
どこまでも、作品と向き合って、何かを感じる、その深さが大切なのでしょう。
自分の個人的な思い付きや感覚なのに、掘り下げていくと、他の誰かの感受性につながることがあります。
例えば、絵本作家のヨシタケシンスケさん。
ヨシタケさんは、絵本作家やイラストレーターの傍ら、気になったことを手帳にイラストともに書き記していたそうです。
それは、作品作りとは何の関係もない、きわめて個人的な営み。
ですから、他の人に見られないように、B6の半分、つまり、普通のB5の大学ノート1ページの4分の1ぐらいの用紙に、さらに3分割したぐらいの大きさ(小ささ)で書き込んでいたそうです。
そのせいで、小さいイラストしか描けなくなったのだとか。
描くことは、もう自分が気になったことのオンパレード。
けれども、ひょんなことから人目に留まり、「面白い」と言ってもらえて、ヨシタケさんは心底びっくりしたそうです。
それでそれまでに書き溜めたイラストを自費出版して、周りに配りまくっていたら、イラストの仕事が入ったり、自費出版のも商業出版されることになったのだとか。
そして、絵本作家デビューを果たし、今や大活躍です。
「個人的な思い付きのイラスト」からも、何冊も書籍になってます。
思うに、メモには2種類があるのです。
一つは、備忘録としてのメモ。
「忘れてはいけないこと」を紙に書いておくあのメモです。
「いつ、どこで、誰に、どうする」といったことを書く、実用性のあるメモ。
多くの人が、メモと言えばこうしたメモを思い浮かべるかと思います。
その一方で、もう一つメモには大切な働きがあると思うのです。
それは、どんなことでもいいから、自分のその時の気持ちや考えを書き残す、思い付きメモ。
そのメモは、何かを伝えようとはしていません。
実用的ではないのです。
人に見せるものでもありませんし、仮に見せられても、見せられた方はどうしていいのか困ってしまう、そんなメモ。
でも、自分の本心で感じたこととか、自分だけの考え方の癖みたいのが表れている、言ってみれば、分身のようなメモ。
こんなこと考えるのは自分だけだろう、という自信100パーセントの思い付きメモ。
思いついても、あっという間に消え去ってしまうような、はかないメモ。
それを記録したからと言って、何かが変わるわけでもない、そんな、内容もあるのかないのか意味不明なメモ。
けれども、今それを書き記しておかないと、自分の中の大切なものを、自分でも気づけなくなってしまうような、そんなメモ。
ああ、自分って、こんな感じ方をするんだなあとか、そう言えば、こんなことを考えてきたなあとか、いつも感じていたもやもやはこういうことだったのかと教えてくれるようなメモ。
そんな、自分のかけらのようなメモを、日記の合間にでも、残していきませんか。
個人的なことでも、不思議なことに、どこかの誰かとつながってたりしますから。