あなたの手帳、いつ「あなたの手帳」になりましたか?

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

芯から冷えたほどではないにせよ冷え込んでいる夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

いよいよ本格的に寒くなってきました。

 

でもまだ、雪になるような寒さではない。

 

北海道では雪らしいですが、北陸はいつになるのでしょう。

 

手帳のスケジュール欄に、季節の変化も書き加えておけば、後で見返したときに、より詳しくその当時のことが再現できるのではないでしょうか?

 

できるだけ、記録魔になると、後々まで楽しめる手帳が出来上がります。

 

今日をそのまま真空パックするみたいに。

 

いつ何をしたという記録だけでは、後で読み返しても、過去のスケジュールの確認がせいぜいですけど、それに伴う感情やその周辺のこと、例えば季節感なども書き添えておくと、「タイムカプセル」のような手帳が出来上がります。

 

そうなると、無下に捨てられませんよね。

 

別に、手帳は取っておくべきとか、捨ててはいけないという話ではなくて、2度とない毎日の記録なので、いわゆるスケジュールばっかりの事実報告を離れて、この年の、自分の航海日誌みたいに仕上げてはどうでしょう、というお誘いです。

 

より多くの人に、手書きの良さを再確認してもらって、ガンガン書く文化が広がればいいなと思っているのです。

 

なので、スケジュールはスマホで十分とか、手帳はマンスリータイプのでいい、あるいは、スマホでスケジュール管理することにしたら、手帳がいらなくなった、というのは、もう、言語道断。(個人の感想です)

 

いや、スケジュール管理にしても、後々のことを考えて、「自分への申し送り」なんかを書き添えておけば、役立つことこの上なしなんだけど。

 

要は、手帳は最低でもウィークリーを中心にして、もっと書き込もうよ、さらには別建てでノートやメモ帳も準備して、いろんな記録を残そう、ということなのです。

 

人間って、「空白」を埋めたい欲求があるらしいので、何も書かれていない手帳でも、置いておけばそのうちあれこれ書くようになる、そういうものらしいです。

 

マンスリーだけだと、スケジュールの「題名」しか書けません。

 

「何月何日」のところに、「10時 全体会議」とか、「12時 会食」「15時 得意先訪問」、そんな「単語」だけで埋まっている手帳なら、使い切ったら捨ててしまっても、あるいはなくなっても、大したダメージにはならないかもしれません。

 

でもそこに、その時の詳しい業務内容や、感情さらには気づき、未来の自分への申し送りなどが書かれていたら、なくさないように細心の注意を払うでしょうし、大切に扱うでしょうし、使い終わった後も、場所を決めて保存することでしょう。

 

それは、手帳が自分のものになった、ということかもしれません。

 

お店の店頭にある時、手帳は「商品」です。

 

去年も使っていたから、気に入ったからといって、黙って持ち帰ろうとしたら犯罪です。

 

お金を払って買って、自分の家に持ち帰っても、先ほどの店頭にあった時と同じく、まだ何も書かれてはいません、当たり前ですけど。

 

ということは、支払いを済ませただけでは「自分の手帳」になったとは言えないのではないか。

 

だって、何も書かれていないし、そのまま売り場に戻しても違和感はありません。

 

では、どこから、いつの段階で、その手帳はあなたの手帳へと進化するのでしょうか?

 

1冊書き終えた時点で、ではないでしょうか。

 

ならば、毎日の「手帳を書く時間」というのは、「自分の手帳に仕上げている時間」と呼んでもいいのではないか。

 

すべての空欄、空白を埋めずとも、毎日対面し、言葉をかけ合い、時には疑問をぶつけ、時には慰められ、あるいは自分の気持ちや考えを文字に変換し、あるいは書くことを放棄し、少しづつ出来上がっていく、世界に1冊しかない手帳。

 

それがあなたの手帳でしょう。そして、僕の手帳も。

 

まるでマラソンランナーの伴走者のように、今も横にいて走り続けている手帳。

 

時には、人生の伴侶のように「俺のすべてを分かってくれている」幻想さえかもし出してくれそうです。

 

ゴールがそろそろ見えてきました。

 

そして実はこのレースは、バトンリレーだったのです。

 

次の走者は決まっていますか?どんな手帳にしましたか?まだ決めかねているのですか?

 

手帳と僕たちの二人三脚はまだまだ続くのです。