手書きでは、手で書いている時間こそが有意義なのです
こんにちは。
てらぴーだよ。
やる気があってもなくても、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
あるのかないのか、どうしたら出てくるのか、あるいは増えるのか、一向に摩訶不思議なこの「やる気」と、どう付き合っていけばいいのでしょう。
同じことをするにも、やる気のある時とそうでない時があったりして、制御不能なところがありますよね。
一方で、やる気の仕組みが解明されて、本人がやる気のしない仕事に対してもやる気を出させられるのなら、それはもう何かの罰、ていう感じがします。
「何時間座っても疲れないイス」というのは、仕事に対するストレスを軽減してくれるとともに、何時間でも仕事をしなさいというメッセージが込められているみたいに。
適度にやる気のなさを楽しみましょうか。
手帳に関しても、やる気、この場合は書く気がないあるいは少ない時は、もう本当に、字を書く気分じゃないって時がありますよね。
ひたすらめんどくさい。
特に日本語って、漢字や仮名が混じっている分余計にそうなのかもしれません。
かと言って、すべてをひらがなで書くわけにもいかず、字を書くめんどくささは、そう簡単には軽減されないのでしょう。
でも実のところ、手書きのすばらしさは、この「字を書くのに時間がかかる」というところにもあるのです。
スマホやワープロの文字入力では、漢字だろうがかなであろうが、かかる時間は同じでしょう。
機械の方で勝手に漢字などに変換してくれるので、画数が多くてもかかる時間は変わりません。
「最近、喫茶店に行くようになってさあ」と書きたい時、スマホやワープロなら「さいきん、きっさてんにいくようになってさあ」と入力すればいいのです。
ローマ字入力でも、文字数が2倍になるくらい、けれども倍の時間はかからないでしょう。
しかし、これが手書きだと、「最近」とか「喫茶店」、「行」なんかを漢字で書かないといけません。
ここで、先ほど述べた「めんどくさい」が勃発するのです。
もちろん、自分しか見ないメモ程度であれば、すべてを平仮名で書きなぐってもいいでしょうけど、それでもいくばくかの寂しさは感じるかもしれません、全部ひらがなだと。
何より、「喫茶店」なんかの画数の多い漢字は、ともすれば間違えたり忘れたり、なめらかに筆が運ばない事態にも遭遇することでしょう。
特に、「喫」あたりで。
でも、だからこそ、手書きには脳を活性化させる効果があるのだと思うのです。
書きながら、どれを漢字で書くか、どれはこの際「かな」でもいいか、といった判断をしています、それも一瞬の内に。
そして漢字を書く際には、どんな字形だったかを思い出しているはずです。
特に、「喫」なんかだと。
この、思い出しによって、脳の神経の結びつきが強化されているのではないでしょうか?
そして、漢字だろうがかなだろうが、字を手書きする時には時間がかかりますが、その書いているわずかな時間の内にも、われらの脳細胞は驚くべきスピードと深さで、何やら結びついている、そのように考えます。
つまり、字を書くとき、例えば「あ」でも「喫」でも、「字を書いている時間」というものが必要です。
そしてその、「字を書いている時間」の間、脳は何をしているかというと、手が字を書くのを待っているのではなく、いろんなことを考えている、つまり神経と神経を結んでいる、そんな気がするのです。
そして、そのような時間こそが貴重でまた有意義なのではないかと思うわけです。
でも手書きには、その速さ以上の効果があるのだと思うのです。
そしてそれは、楽しい時間でもある。
なぜなら手書きは、廃れることがなさそうだから。
デジタルの次はアナログ。
来年も、手書き手帳を楽しみましょう。