斎藤幸平『人新世』が話題、無限の経済成長を終わらせよう
こんにちは。
てらぴーだよ。
そうか、もうお正月は終わりかの夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
新年が明けて3日が経ちました。
明日から2021年の「日常」が始まるのでしょう。
その「日常」は、どのような考え方に裏打ちされているのでしょうか?
若い研究者、斎藤幸平さんの『人新生(じんせいせい)』が話題です。
人間の活動は地球を覆いつくし、地質までも変化させている、という地質年代の呼称『人新世』。
中でも、気候変動問題は、抜き差しならないところにまで来ています。
もう無限にモノを作り続けることなどできない。
どこかで誰かが対策を施して、地球や世界や社会を救う、それをその他大勢の人たちがこれまで通りの生活を享受しながら見ている、ということは期待できない。
新しい生き方、社会の在り方が求められているのでしょう。
生産活動、ひいては経済活動が抑えられるので、GDPなんかの数字や指標は下がるかもしれない。
けれども、生活には支障なく、というより、却って暮らしやすい生き方やコミュニティが実現するのではないか、そんな風に思います。
モノとの関係を捉え直し、より少ないモノで暮らそうという断捨離が流行るのも、その辺に多くの人たちが気づいているからなのでしょう。
資本主義は、基本的に「新製品」を出し続けないといけない。
けれども、その裏側で、「見えないコスト」というものも増えているのではないか。
ただそれがうまく「定価」に反映されないだけで、知らず知らずのうちに、地球環境に大変な悪影響を及ぼしているのでは。
テレビが普及して、一家に1台までは良かったけど、家族一人に1台とまでになると、果たしてよかったのか。
それが、現代社会や文明の「進歩と調和」(1970年の大阪万博のメインテーマ)だと誇っていいのか。
もちろんコロナ禍が起こったことは偶然でしょう。
けれどもそのことを、どのように捉えるのか、そこに我々の真価が問われている。
誰かに頼って、「何とかしてください」と足踏みしていてはいけないのではないか。
けれども一方で、「日常」の力も大きい。
毎日の生活が始まれば、目の前の仕事に精を出すほかはなく、地球環境のことなんて、後回しにされてしまう。
けれどもここは踏ん張って、考え続けねばならないのでしょう。
コロナ禍を考えることは、これからの社会を考えることで、それはいきなり日本とか世界を主語にするのではなく、自分の属している様々な社会集団からとらえ直すことではないでしょうか。
日々のちょっとした気づきや選択も、多くの人に共有されることによって、大きな、けれども静かなうねりとなるかもしれません。
革命のように、上から一度にすべてをひっくり返すことはできなくても、毎日行っているルーティンを少し変えることはできるでしょう。
ルーティンを変えられなくても、自分の感情を落ち着かせることぐらいはできるかもしれない。
そんな些細なことから、新しい社会が始まるのかもしれません。
モノとの関係を見直し、人との関係を見直し、自分との関係を見直す。
モノの背後に、システムや働いている人や「見えないコスト」を感じ取ってみる。
そして、これからもそうするのか、しないのかを選択する。
そのかすかな決意の積み重ねで、大きな社会というものもまた、変化していくように思います。
上からは変わらないし、上から変えろと言われたくない。
ともかく、新しい1年が始まったのですから、何が起こっても、そこで何が問われているのか考えるとしましょうか。