コロナ禍と独学の流行りについて

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

寒さが緩んだ夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

今週末から、また「数年に1度の寒気」だそうですが、今は比較的緩んでます。

 

外出自粛と経済を回すことの、うまい落としどころはあるのでしょうか?

 

家に引きこもりがちゆえに、読書時間が増加しているのだとか。

 

数年前から続く、大人の学習ブームも手伝って、独学がさらに増えるのでしょうか。

 

その独学も、資格試験とか仕事上の必要に迫られて、といった実利的な理由からのものと、教養を高めたいためといった、生き方に関わるものまで様々です。

 

コロナの感染に、もし積極的な意味を見出すのなら、これまで当たり前と思われていたことを、そうではないんだと明るみに出したことでしょうか。

 

残業が当たり前とか、転勤が当たり前、満員電車が当たり前、会社や学校に出向くのが当たり前、自宅では仕事にならない、田舎に引っ越しても何もいいことがない、「失われた30年」も当たり前、政治も変わらない、いったいどれだけのことを「当たり前、前からそうだった、だから変えられない」とあきらめて、我慢を重ねてきたのでしょう。

 

そういった事柄は、これまでにも根本的に批判され、変えようという取り組みもなされてきてはいましたけど、今一つ諦観が強かったように思います。

 

でも、コロナ禍で、やってみたらできた、もしくは何とかなりそうだ、さらには、こっちの方が快適だ、という意見が多くを占めたのではないでしょうか?

 

もちろん、過渡期ではありますので、今しばらくは、混乱も続くでしょうけれども、これまでのやり方、あり方を見直して、もっといいやり方があるのではないか、そしてそれを探すことはほとんど義務ではないか、という考え方も増えてきているように思います。

 

この世に、固定された「永久不変」なものなど何もないのですから。

 

それに、これまで「当たり前」だと思われたことも、ちょっと歴史をたどってみると、意外と最近定着したことだった、というのも新しい発見でしょう。

 

ならば、変えられないものなんて何にもないではありませんか。

 

その制度や思い込みで、多くの人が幸せなら、そのまま続ければいいけれども、その制度や考え方のせいで、多くの人が苦しんでいるのなら、ためらうことなく変えればいい。

 

それが、「まっとうな思想」であると、多くの人が気づいてきたのではないかと思います。

 

グローバルであることも、単に世界が小さくなったということではなくて、自分のささやかな生活が、ほとんど世界中と結びついてしまっている、だとするならば、「関係ない」という態度は取れないでしょう。

 

今日1日の生活の在り様が、地球環境にや国際社会といった大きなことにつながっている、そのつながりが見やすくなったことも、コロナ禍のプラスの影響かもしれません。

 

1日の終わりに手帳を開いて、今日1日の過ごし方を振り返り、明日のスケジュールを確認するそのことの中に、地球環境につながる事柄が含まれているのでしょう。

 

誰かがどこかでどでかいことを成し遂げて地球を救うというのは、おとぎ話です。

 

ここはやはり、「一人ひとり」を信じるしかない。

 

「上からの」「大きな」変化を待つのではなく、身の回りの小さな変革が幾重にも重なって、大きなうねりになると信じます。

 

個人としての生き方も、社会とのつながりも大切にして、2021年を楽しみましょう。