それは果たしてあなたの考えか、あなたの気持ちなのか、本当に

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

明日から雪かよ?の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

今はにわか雨ですが、そのうち雪へと変わるのでしょうか。

 

しかしそれは、雪国のルーティンみたいなもの、冬の寒さを経験しないと、桜も咲かないというではないですか。

 

比較があって初めて、その良さも際立つのでしょう。

 

手帳には、これからのスケジュールを記入する役割のほかに、何をしたのかを記入する、生活の記録、いわゆるライフログの機能もあります。

 

単に、ToDoを書いてチェックして終わりとするのではなくて、その時間、どこにいて何をしていたのかを書き残していくのも、後々読み返す楽しみだけでなく、これからの「進路」のためにも、大切なことでしょう。

 

私たちの生活は、意外と、時代の影響を受けています。

 

住まい方、食事のメニュー、その食べ方、服装のデザイン、さらには、しゃべり方や思考の傾向まで、強弱はあれども、時代が刻印されているのです。

 

試みに、今日のあなたの服装を写真に撮ってみましょう。

 

それを数年後あるいは数十年後に、しかるべき人が見たならば、髪形や服装のデザインなどから、いつの時代のものなのか、判定されるでしょう。

 

YouTubeに時折、「昭和40年代の東京の街角」なんて映像が出てくることがあります。

 

結構クリアーな映像で、どうしてこんなのが残っているのかと思いますが、街並みや人々の様子を見ていると、ああ、、あのころはこんなだったなあと思うことしきりです。

 

道路の様子、走っている車の型、看板の文字、人々の髪形、服装、そんなあれこれに時代というものを感じてしまいます。

 

同じように、目には見えないものの、考え方や感じ方にも、時代が反映しているのかもしれません。

 

自分としては、自分で自由に考え、また感じていて、誰かの影響はあるにせよ、でもこの思考や感情の中身は自分オリジナルだ、との感覚があるとは思います。

 

けれども、長い時代の流れで見てみるならば、その自由なはずのものごとのとらえ方や、感情の在り様も、時代的な特徴に染められているのかもしれません。

 

コロナに関して、自分としてはこう思うとか、このように感じているというその考え方・感じ方に、時代やマスコミ、あるいは誰かの影響といったことが、確認できるのかもしれません。

 

大切なのは、そのような、広い意味での「他人の考え方、感じ方」に影響されない「自分なりの考え方・感じ方」を持つことなのでしょう。

 

そして、これが存外に難しい。

 

いつの間にか、誰かと似たような服装をしているように、気がつかないうちに、「他人の頭」で考え、他人と同じように感じているかもしれないのですから。

 

そうしたことに自覚的になれず、誰かを傷つけたり、無批判に「大きな流れ」に同調することは、避けたほうがいいでしょう。

 

けれども、では自分の今日の服装のどこが「自分の選択」ではないのか、見分けるのが難しいように、「自分の思考や感じ方」から、「他人からの影響」を排除するのも、大変なことであると思います。

 

せめては自分の考え方などを具体的に言語化し、外から眺められるようにすると、自分の中の「他人の意見」を見つけやすくなると思います。

 

常に頭の中で、言葉で考え、言葉で気持ちを表し、また、それを文字にしてみる。

 

そうすることで、自分オリジナルとそうではない他からの影響を、峻別できるでしょう。

 

具体的に書き出すことで、自分の思考の在り様や、感情のカタチに敏感になれるでしょう。

 

自分の人生の主役でい続けるためにも、他人からのアクセスには、気をつけたいものです。