コロナ禍であれ、「社会的な生き物」を手放してはならない
こんにちは。
てらぴーだよ。
雪かきの道具がことごとく売り切れの夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
あちらこちらで雪かきサンデーだった日。
スコップを買おうとふだんなら歩いて1時間のホームセンターに、おそらく倍の時間をかけて到着。
歩道はほとんど雪で埋まって歩けず、車道を歩くしかないのですけれども、さすがに危なくてしょうがない。
幸い降雪はほとんどなく、寒さも和らいだ感じでした。
でも雪かき関連の道具は完売、おまけに大雪で入荷も未定と張り紙がありました。
ただただ黙って帰るしかありません。
初老の男性の、貴重な人生の残り時間を返せ。
近くのスーパーでも、大雪で夕方には閉店だそうです。
1個数億円のミサイルをあきらめて、除雪車を増やしてほしい。
ミサイルなんて、実際に配備しましたよなんて公開せずともいいのだから、「買いました」と表向きは言っといて、裏で除雪車の購入に充てて欲しい。
そうすれば、技術革新も進み、電気除雪車とか、無人除雪車、太陽光ならぬ曇天でも発電するバッテリー駆動の除雪車など、いろいろ開発されるかも。
大気の動きそのものは変えられないにしても、除雪のスピードを上げたりや対策を進化させることはできるはず。
もしかしたら、日本のオードリー・タンみたいな改革者が現れるかも。
21世紀になっても、自然の脅威の前では、なすすべがないのなら、楽しむことを考えてもいいかも。
お釈迦さまも「一切皆空」なんておしゃっているのですから、苦であることは認めて、でも、苦のままでいるのはつらいので、楽しんでみましょう。
考えてみたら、雪が降っても、かまくらを作るとか、雪合戦とか、遊べることはあったはず。
スキーをする人口が激減しているそうだから、スキーを再び盛り上げるか、新しいゲレンデの遊びを考えるとか。
とはいえ、コロナの時代なので、人が集まるイベントは難しいかもしれません。
けれども、ここで問われているのは、「社会性」なのではありますまいか?
ヒトは社会的な動物だという、その社会性。
けれどもそのことは、人間ならば必ず持っている気質のようなものというよりは、社会生活を送る中で培われていくものではないのでしょうか。
そのことが今、根幹から揺らいでいる。
でもここで、「集まって、集団で暮らす」ということをあきらめてはいけない。
密にならずに、つながりを確かめ合って、社会性を持ち続ける。
そのためには、どのような仕組みが必要なのか、従来の社会では何が良くて、何が不十分だったのか、そうしたことが根本から問われ直しているのだと思うのです。
このまま、インフルエンザのように、何かしらの「共存」を確立させるのか、それとも徹底抗戦か、あるいは降伏なのか。
そこは、医学などの領域なので、多くの人たちが選択するといった事柄ではないのですが、どのような状況に進もうとも、個々に分断されるようなマイナスのつながりを選択してはならない、そのように考えています。
コロナを経験したことで、より強固な、より楽しめるつながりの在り方が、生まれてくればいいのではないでしょうか。