「右肩上がり」の資本主義から脱却して、「ほんとうのしあわせ」を見つけよう
こんにちは。
てらぴーだよ。
快晴だったけど、放射冷却で冷えてますの夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
日中は、ジャケットを脱いでも日差しが暑いくらいだったのに、夕方はもう冷えてしまいました。
大学生のころ、ほんの数か月だったけど、小さな食品スーパーでアルバイトをしたことがありました。
確か2店舗あって、父親が社長、母親が副社長、長男が専務で、次男が常務という家族経営の食品スーパー。(常務と専務は逆かもしれない、よく覚えてない。)
僕の配属は「お総菜部門」。
中年のやせすぎのおっさんがチーフで、パートのおばちゃんが二人、僕を入れて総勢4名でした。
10時の開店に合わせて、おにぎりとお稲荷さんを作るのが日課でした。
それはパートのおばちゃんと僕の担当。
おにぎりを包むシートに、のりをセットするところから手作り、お稲荷さんも油揚げを半分に切って、中を押し広げ、手ですし飯を入れてました。
揚げが薄いので、破けたりするのですけど、そうなると商品にはできないので廃棄処分です。
チーフは自分で、お弁当を作ってました。
と言っても、ほとんど冷凍食品の、主にコロッケを揚げたのを入れるだけというシンプルな構成。
「うーん、何か足りないなあ」と言っては、お店の商品である缶詰なんかをあけて追加するのが日課。
なぜかたいてい「赤貝の缶詰」でした。
さて、そんな、緊張感のない、バブル前のスーパーでしたけど、毎朝必ず「朝礼」がありました。
全従業員、と言っても10人足らずだったと思います。
社長、副社長は姿を表さず(バイトしている間一度も見たことなし)、若い兄ちゃんが(長男か次男なんだけど分からずじまい)お話をされるのです。
それも毎朝決まったお話なのでした。
何かというと、去年と同月同日よりも売り上げを上げましょうというのと、昨日よりも売り上げを上げましょう、この2点だけ。
それを毎日繰り返していました。
僕はと言えば、商売のことなんか何もわからないので、「そうそう毎日昨日よりも去年よりも上げられないだろう。調子のいい時もあれば、そうでない時もあるだろう」なんて、ぼんやり考えていたのでした。
でも、これって、単純だけど、ほとんどの会社が目指していることではないですか。
いわゆる「右肩上がりの成長」
売上やら純利益やら、様々な数字があるのでしょうが、とにかく昨日より、あるいは昨年比で、越える数字を出すこと。
何をして数字を上げたのか、その内容よりも、上がったのかどうかが問われる。
そしてそれが、エンドレスに続く。
たぶん、経営者で、「昨年よりも少ない売り上げを目指します」という人はいないのではないでしょうか?
いたとしても、株主から評価はされないでしょう。
「優れた経営手腕だ」ともほめてもらえない。
でも、そろそろ、その「右肩上がり」を捨てる時が来ているのではないかと思うのです。
いつまでも発展することはできない。
どこまでも続く成長路線にも限界がある。
そんな資本主義に未来はないだろう。
今あちこちで、資本主義が見直されているのは、右肩上がりじゃなくてもいいじゃないかという考え方が、広まってきている証拠だと思うのです。
もう「モノ」の大量生産はやめにしよう。
「一家に一台のテレビ」が「一人に一台のテレビ」になって、どれだけ僕たちは幸せになったのか。
今そうしたことが、根本から問われているような気がします。
コロナが増幅している、と捉えてもいい。
GDPなんかでは表せない「豊かさ」があるのではないか。
そしてそれは、僕たちの生活から始められる。そう思います。
国が始めるとか、予算をつけるとか、誰か優れた人が主導するとか、そういうのではない形。
それはもうあちこちで静かにでも力強く、始まっていると思うのです。