テクノロジーに倫理学を

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

すっかり足腰が弱った夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

筋力が衰えたのか、歩みがのろくなりました。

 

老化は腰とひざに出ると聞いているので、筋肉を復活させたいです。

 

鎌田實さんというお医者さんが、スクワットとかかと落としで筋力を維持しましょうとご著書で書いていらしたので、まずはそこからかな。

 

筋力も大事ですが、脳力の衰えも気になるところです。

 

認知症は避けたいので、頭を使うであろう日記とか読書を中心とした生活にしなくてはなりません。

 

すなわち、文字を読んだり書いたり、書くことを思い出したり構成したりといった生活。

 

手とともに、脳も動かして、ボケを遠ざけたい。

 

鈴木健二さんが、若い頃より尊敬していたある著者の方にじかにお会いする機会があったそうです。

 

お会いした時には先方は、かなりのお年寄りになってたそうです。

 

そしてすっかり認知症になっていたのだとか。

 

その様子を見て、かつて自分をあんなにも感動させた文章を書いた本人を前に、号泣してしまったそうです。

 

頭使っててもダメなのか?

 

日記書くより、脳トレのようなクイズのほうがいいのかな。

 

脳に電極を差し込んで、うつ状態を改善できたというニュースをネットで見ました。

 

認知症の治療にも、「脳に電極」という時代が来るのかもしれません。

 

レナードの朝』どころの話じゃないよね。

 

尊厳死のように、最後まで自分で決めたいという、尊厳的認知症なんかが、議論の俎上に上がる日が来るかもしれません。

 

どこまで自由で、どこまで主導権を握れるのか。

 

人生の最期をどう迎えるかという「終活」というのもありますし、そのためのノートも出ています。

 

映像で残す場合もあるそうです。

 

宇宙葬というのも出てきて、今後ますます多様化していくのでしょう。

 

ネパールあたりでは、鳥に食べてもらう「鳥葬」というのがあると聞いてます。

 

平べったい、それ専用の岩に死体をただ置いておくだけ。

 

そうすると、ハゲタカとかあの辺の鳥が、きれいに骨にしてくれるのだとか。

 

ところが近年、鳥が食べなくなったそうです。

 

研究者の見立てでは、人間の体に蓄積した重金属のせいではないかと言われているとか。

 

最近では、人に限らず、マイクロプラスチックが細胞にまで入り込んでいるというありさま。

 

「自然」はどうなってしまうのでしょう。

 

ドッグイヤーとも言われているように、テクノロジーは進むでしょう。

 

でも、テクノロジーには、「頭」がありません。

 

なぜその技術が必要なのか。

 

その技術を進めて本当にいいものなのか。

 

そうした実験や技術をなぜ進めるのか。

 

そうした、技術の「使い方」に関して、テクノロジーの側は「倫理」を持ち合わせていない。

 

だから一方で、文系の知が必要になるのです。

 

おそらく自動車だって、発明された当初は、これがやがて人々を(日本に限っても)年間数万人も殺傷させる機械になると言われたところで、

 

「こんなスピードじゃあ、人は傷つけられないだろう」とか、

 

「スピードが出せないように規制されるだろう」とか、

 

「自動車が進化するのに合わせて、人間の思考力も進化するだろうから、未来の人たちはうまく付き合うのではないか」と答えたかもしれません。

 

今生まれつつあるテクノロジーについての、新しい倫理学が求められているのでしょう。