コロナ禍の変化を、将来自慢げに話そう
こんにちは。
てらぴーだよ。
節分の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
いわゆる豆まきの日ですが、地方により名字により、豆まきをしないお家もあるそうです。
民俗学的な伝承で、例えば、渡辺姓の家では豆まきをしない地方があるとか。
鬼退治に行ったから、というのがその理由らしいのですけど、豆まきはいいとして、恵方巻は食べないのでしょうか?
その昔、東京にいたころ、新井薬師の豆まきに行ったら、寒さに震えていた鬼がまいていたのは、大豆ではなくて、バターピーナッツ、しかも袋入りでした。おつまみかよ。
時代とともに習俗も変わるというお話でした。
今ある我々の生活だって、どんどん変わっていくのでしょう。
1日単位では分かりませんが、数年単位ともなると、変化を感じられるでしょう。
数十年単位だと、時代そのものが変わり、数百年単位で見たら、別の国に変わったように思えるかもしれません。
特にこのコロナ禍は、時代の変革を後押ししているようです。
あなたも、おじいちゃんになったら、お孫さんから、今の話をせがまれるかもしれません。
孫「おじいちゃん、またあの話して」
あなた「またかい、飽きないねえ」
まご「だって、いまとちがうんだもん。」
あなた「いいよ。おじいちゃんが若かったころは、この辺にもいくつか『こんびに』というお店があったんだよ。」
孫「そのお店、いつも開いていたんでしょ?」
あなた「そうだよ、そのころは、24時間営業と言って、夜中もずっとお店をしていたんだ。」
孫「いつお店をあけたの?」
あなた「開けないんだよ。閉めることもない。何しろずっとお店をしていたんだから。」
孫「お店の人はいつ寝ていたの?」
あなた「何人かで交代しながらお店をしていたんだ。一人の人がずっといたわけじゃない。あなたは何時から何時、あなたはその次の時間お店に出てください、というふうにね。こうやって、交代交代でお店に出ることを『しふと』と呼んでいたんだ。」
孫「でも、真夜中担当の人は、いつも真夜中なの?」
あなた「そうする場合もあれば、そうならないこともあったみたいだよ。何しろ、夜中ずっと起きているのはつらかったと思うから。」
孫「今は、どのお店も夜はしまっちゃうよ。」
あなた「そうだね。それが『にんげんらしいせいかつ』だと思うけど、そんなことに気づくにも、長い時間といろんな人の『といかけ』があったんだよ。」
今訪れている「変化」は、ちょっとした工夫レベルではなくて、もっと根本的な改革になると思います。
今まで「当たり前」だったけれど、考えてみたら人々を幸せにはしない、そんな「習慣」が改めて問い直されていくのだと思います。
僕がよく足を運ぶ大きな本屋さんは、コロナ前は閉店が「26時」、つまり深夜の午前2時でした。
そんな時間まで、新入社員らしい若い女の子までもが、働いていたのです。
僕がもしその子の親だったら、内心穏やかであったはずがありません。
コロナ禍で、今は22時閉店になりましたが、それで十分だと思います。
もっと早くてもいいと思います。
一方で、深夜まで開いているとありがたいお店とか、24時間開いていたほうがいいお店というのもあるかもしれませんが、数は今より少なくてもなんとかなるのではないでしょうか。
働き方を見直す、というのは、例えばそうした、営業時間の見直し、したがって、これまでのように深夜の買い物が不便になる、と言ったことを受け入れるということでもあるのです。
どこかで誰かが「変化している」ということではありません。
ただ、例えば僕が参加してもしなくても、変化は進んでいくでしょう。
だとするならば、積極的に参加したほうが、おもしろいと思いませんか?
将来、孫や近所の子供たちに、「あの頃はこうだった」と自慢げに話す「生き字引」となるためにも。