手書きって、マインドフルネスかも!?
こんにちは。
てらぴーだよ。
久しぶりに晴れ渡った空の元、洗濯物を干せた日の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
何か月ぶりだろう、と思えるくらいに1日中雨にも雪にもならず晴れたので、ベランダにて洗濯物が干せましたがな。
これまではずっと室内干し。
でも、鼻が利かないので、室内干しでも外干しでも、匂いなど分からず、気にせずに生きてました。
でも、ベランダに並ぶ洗濯物を見るのは、爽快な気分です。
やっぱり人間、お日様と生きていかなくっちゃね。
乾燥まで全自動というのもあるそうですけど、大した手間ではないので、青空の元干す方を選びます。
どこかで「自然」とつながっていたいので。
ネットで、街路樹の数と精神疾患が関連があるという記事を見ました。
街路樹が少ないあたりのお家で、精神疾患が増えるというデータがあるそうです。
街路樹程度でも、自然を目にする頻度が、心の安定に影響してくるのでしょう。
我々の思考や感情も、周りの自然環境の影響を受けているのです。
その微妙な影響だけを、抽出したり、数値化したりは難しいとしても、我々の気がつかないレベルで、我々も「地球の子供」なのでしょう。
こんなの、AIには無理でしょう。
肉筆なんて言いますが、手書きにも、大切な、デジタルでは再現できない特色がありそうです。
それは、字を書く時間が必要である、ということではないかと思うのです。
当たり前ですよね、スマホやPⅭだと、特に漢字の画数に関係なく、一定のスピードで「書く」ことができますが、手書きだとそうはいかない。
どんなになめらかなペンを使っても、「字を書く時間」が必要です。
そのうち、頭の中で思いついたことをすらすらと、あるいはさらさらと文字に変換していく「スマートペン」なるものが、テスラあたりから発売されるかもしれませんけど、それは遠い未来のお話。
げんじょうは、ペンを握り、線を引いたり、点を打ったりして、書いていくのです。
ひらがなにすれば、ほんの3文字くらいの熟語でも、画数が多いと、その分時間がかかります。
旧字体だとなおさらです。(例えば、金澤の澤なんか)
けれども、その「時間がかかる」ことが、手書きの良さなのです。
なぜなら、その、わずかな時間に、頭の中でいろんなことを考えたりイメージしたり、また、思い出したりするし、さらに、それらに伴う様々な感情も、よみがえったり想起したりしてくるから。
今日何をしていたのか書く時も、思い出しながら、関連することも浮かべながら、文字を書いているはずです。
決して、ワープロを打ったり、スマホに入力したりするように書いているわけではありません。
例えば、先ほどの「金澤」
文字情報としては「かなざわ」、4文字です。
ワープロやスマホでは、おそらく「か」も「な」も「ざ」も「わ」もすべて「同じスピード」で「書いて」いるはず。
「か」を打つのは早いけど、「な」を打つのに2倍の時間がかかる、ということはおそらくないでしょう。
でもこれが、手書きであれば、字を書くので、ひらがなであっても、微妙に書く時間が異なるのが普通ではないでしょうか。
漢字になるとなおさらです。
「金」は8画、「沢」は7画なので同じようですけど、旧字体の「澤」になると、16画となって、単純に見積もっても、2倍の時間がかかることになりそうです。
そして、そのわずかな時間に、我々の頭、脳は、おそらくものすごいスピードと量の情報処理をやってのけている、と思います。
それはもしかしたら、昨今流行りの「マインドフルネス」にも似た状態なのかもしれません。
いや、「マインドフルネス」なのだ、ということにしましょう。
手書きって、マインドフルネスだった!
字を書く間というかその時間に、脳は、いろんなことを神経レベルで結び付けている、ということが言えそうです。
実証できないけど。
でも、たぶん、そう。
AIに勝てる分野は、手書きです。