あなたの日記が時代の航海日誌になる

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

明日雨100パーセントだなんて信じられないくらいいいお天気の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

春を通り越して初夏かよと思ってしまった昼下がり。

 

常夏とまではいかなくても、これくらいの暖かさが続いてほしい。

 

予報は雨、しかも100パーセント。

 

しかも、その後には雪マークが控えていらっしゃる。

 

春、遠いですね。

 

せめては手帳や日記に、毎日の生活を記しておきましょうか。

 

学校で習った歴史でもそうですけど、記憶されたり、年表に書かれるのは、極めて特殊なことばかり。

 

でもその内側で、人々は生活していたわけですが、そうした「日常」は、なかなか記録には残りません。

 

何年に、戦いがあったとか、誰かが殺されたとか、そういう特殊な事件は記憶され、年表に書かれ、学校でも習い、そして覚えさせられるわけです。

 

でもその間、人々の生活は続いていたはず。

 

応仁の乱なんて、京都を舞台に11年間続くのですけれども、その間、毎日戦争かと言えばそんなこともなく、人々は生活してなかったのかと言えば、もちろん生きて、したがって食べたり着たり出したりと、生きていたはずです。

 

戦乱の様子や移り変わりは詳細に記録されても、毎日の食事や、着物などについて書き記す歴史書は少ないのが事実。

 

なんの誰それの出自はどうで誰に仕え、どのような武勲を上げたかについては、詳細に語られても、日々何を食べ、どのような趣味を持ち、何色の着物が好きだったのかは、たいていの場合要とは知れません。

 

あまりにも、当たり前だから。

 

当たり前すぎて、記録するほどでもないと判断されたのでしょう。

 

でも、今となっては、その「当たり前」が愛おしい。

 

江戸時代の下級武士が描いた「絵日記」が残っているそうですけど、そんなのが、あらゆる階層で、いろんな立場から描かれていたとしたら、歴史の様相も、ずいぶん変わっていたのではないでしょうか?

 

この1年、私たちの生活はずいぶんと変わり、まるで、半ば記憶喪失にでもなったように、コロナ以前の生活がぼやけています。

 

道行く人々が、ほとんどマスクをしていない街並みの風景なんて、ほんとにあったのか、と思ってしまいます。

 

どのお店に入っても人であふれ、外国人観光客もそこかしこにいて、手を握ったりハグしたり、そんな生活があったのか?

 

歴史の表層はすぐに変わります。

 

様々な「事件」も起こるでしょう。

 

それらと同じように、私たちの生活も、どんどん変わっていくのでしょう。

 

歴史の底流として、なかなか変わらない、とも思われてきましたが、これからさらに変化するでしょう、冬のお天気のように。

 

私たちの社会は、どんな航海をすることになるのか。

 

はっきりしているのは、みんなが「乗組員」であり、「部外者」はいないということ。

 

そして、すべてを任せて安心できるリーダーもいないのです。

 

みんなで、手探りで進むしかない。

 

大切なことは、自主的に参加しないと、楽しくはないということでしょうか。

 

「こんな世の中に誰がしたんだ」とは、まさに天に唾であることだけは確かなようです。

 

「部外者」などいないのですから、進路が間違っているのだとしたら、私たち全員がしくじったのでしょう。

 

一人ひとりに「当事者」であることが「強要」されているのです。