ヒトやモノの移動が進めば、日本はもっと平均化するかも

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

朝からずっと降り続いている雨の日の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

「売り切れ」とか「打ち止め」にならないのか今日の雨は。

 

どんだけ在庫あんねん。

 

雲の貯水能力ってすごい。

 

雨を降らせる前の雲をサハラかどっかの砂漠に連れていき、雨を降らせたらいいのにね。

 

まあでも、地球全体どこでも平均になってもつまらないのかも。

 

濃淡というか、例えば雨なら、多く降るところと少ないところがあるからこそ、景観にも差ができたり、取れる作物が違ってきたりして、その地方ならではの特色が出てくるのでしょう。

 

1日中雨は嫌だけど、地球が水の惑星でよかった。

 

なんといっても水は、大気や大地の中を循環していますから。

 

あなたが今日大気に向かって「吐いた息」は、数十年だか数百年後には、雲となって上層に到達し、雨となりまた地上に戻ってくるそうですよ。

 

なんだかすごいブーメラン。

 

ヒト以外の生物のほとんどは、この見えないブーメランの中にいるのです。

 

生まれて死んでいくというのは一面的な見方で、いろんなブーメランがそこかしこで機能しているのでしょう。

 

水のブーメラン。

 

炭素のブーメラン。

 

酸素のブーメラン。

 

生物の体も、生まれやがて死を迎え、そして分解され、また新たに命を得て、誕生するのでしょう。

 

そんな繰り返しを、もう何十億年と生き物は行ってきました。

 

目に見える、分かりやすい循環もあれば、まだ人類が見通せてない循環もありそうです。

 

大切なことは、その営みを消してはいけないのではないか、という問題意識を持つことでしょう。

 

命は相互に、不可解な関わり合い方をしている。

 

そう簡単に、地球史の中では新参者の人間に分かるはずもないのです。

 

昨今話題の、SDGs、持続可能な開発目標も、その言い方そのものの中に、人間のさかしらを見て取れます。

 

「開発」だなんて、まだ「開発」をするのですか?

 

それは、環境破壊と重なってませんか。

 

「持続可能」の中に、人間以外の命へのまなざしが、どれだけ含まれているのでしょう。

 

何が、あるいは誰が、「持続」するのか、したいのか。

 

グローバル化の進展は、コロナ禍でちょいと一休み。

 

かつてのように、人もモノも世界を駆け巡るようには当分ならないでしょう。

 

ならばこの機会に、それぞれの国で、どれだけの自給自足ができるのか、試してみてもいいのではないかと思います。

 

グローバル一転ローカルへ。

 

地産地消を進めましょう。

 

地方は人がいなくなりすぎる「限界集落」が増えているのだから、住むところはある。

 

食べ物もある。

 

ないのは仕事だけ?

 

でもリモートなら、どこでも働ける。

 

地方移転がさらに増えれば、もっと職も見つけやすくなるかも。

 

人々が田舎に引っ越せば、都会との人口差も少なくなり、物流にも変化が起きるかもしれない。

 

文化的な催しも、地方で増えるかも。

 

題して、「ニッポンを均(なら)そう」

 

あってもいい地域差と、ないほうがいい地域差、もっとはっきりさせて、日本を快適にしよう。