街歩きをして、『みうらじゅん』になろう
こんにちは。
てらぴーだよ。
日付けが変わると雨が雪に変わってしまう夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
ついこの間、一瞬季節を忘れさせてくれる陽気に喚起してたのに、冬がまた来る。
ていうか、まだ冬じゃん。
冬は靴下に加えて、ネックウォーマーとか手袋とか、こまごました洗濯物が増えるから嫌いだ。
Tシャツ1枚で過ごせる夏になってほしい。(下は履いてる)
最近寒さが脳に到達したのか、まるで考えるということができなくなりました。
これも寒さの副作用なのでしょう。ああ、おそろしい。
したがって、メモ帳として重宝している野帳が進みません。
通常僕たちは、物事を考える時には、「言葉」で考えていますから、その人の語彙力がその人の世界の限界なのだ、と言ってもいいのではないでしょうか。
したがって、書くことは、読むことでもあるわけです。
よく書くためには、よく読まなければならない。
使える言葉の数を増やし、表現の幅を広げるものは、「読むこと」です。
「読む」のはなにも、書物、本に限りません。
「相手の気持ちを読む」などと言うように、「読む」には幅広い守備範囲があるようです。
風景を読んだり、時代を読んだり、空模様を読んだり。
対象から、何かしらの「意味」を受け取る行為は、すべからず「読む」行為だととらえてよいでしょう。
活字を目にすることだけが「読む」ことではないのです。
例えば見慣れた街中の風景にだって、様々な「意味」が隠されているでしょう。
それは時代の流れであったり、逆に、時代から取り残されたものであったり、ついこの間の何かの痕跡であったり、すぐ後に続く何かの流行の兆しであるかもしれません。
何でもない街中の風景も、饒舌に、語り掛けてくるのでしょう。
記号があったり、象徴が潜んでいたり、もしかしたら、思いもかけなかった「お宝」が埋もれているかもしれません。
何気ない風景からも、様々な「読み」が可能なのです。
さらに、街中の「文字」に注目すれば、情報量は一気に増えるでしょう。
独特な、どの「フォント」にもないような個性的な文字を発見したり、店主の人柄が個性を突き抜けて表現されている張り紙を見たり、消えかかっている、今はもうその意味が分からなくなっている看板を見つけたり。
街並みは、ワンダーランドさながらに、僕たちを楽しませてくれるのです。
人工物だけでなく、自然の造形にも、目を見張るときがあります。
木々や草花や小動物や昆虫に関しても、自然はまだまだ隠し持っている。
書に飽きたら、書を捨てないで、書を携えて、街に出てみましょう。
時には、バスに乗って、ぶらりと揺れてみるのも面白い。
とりあえずその路線の終点まで、とか。
少し高い車道からの眺めは、いつもの見知ったはずの街並みを、異国に変えること請け合いですから。
そうして、できれば、新しい、「え、こんなところに!?」と思えるようなところに好みのカフェなんかがあった日にゃ、瞬間観光客になれますよね。
街はいつだって、フィールドです。
ならば、日本が誇るフィールドノート、「野帳」を持って、2時間でもいいから、フィールドワークに出かけてみましょう。
「これを集めていけば、『みうらじゅん』になれるかもしれない」とひそかに期待しつつ。