スマホ脳が求めるのは、「いつでもどこでも好きなだけ」

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

積雪ところにより10センチの夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

風の影響なのか、雪の積もり具合が、場所によって微妙に異なります。

 

10センチぐらいの、歩くのにじゃまな深さのところもあれば、昨日の雪面とほとんど変わらないところもあります。

 

吹雪の中を歩くと、眼鏡をしているので、レンズの内側で「乱気流」が起こり、涙があふれる事態となります。

 

泣きながら雪道を急ぐおっさん。

 

風の強い日は、涙もろいのでした。

 

雪道でも、歩きながらスマホを触っている人は多いです。

 

それこそ今は、老若男女がスマホに釘付け。

 

たまたま、朝のバス停を見る機会があったのですけど、並んでいるほとんどの人が、スマホを見ています。

 

バスや電車の中で、文庫本を広げるという習慣は、スマホに取って代わられたようです。

 

スマホと一口に言っても、電話であったり、メールであったりしますし、ゲームの時もあれば、ニュースの視聴をしていたりと、その使い道は様々です。

 

その多様性も、スマホの魅力なのでしょう。

 

先ほど、「老若男女」と書きましたけど、スマホで何をしているのかは、人それぞれ。

 

その多様性ゆえ、老若男女それぞれが、スマホから逃れられないのでしょう。

 

スマホ禁止」と、単純に言えない理由が、その辺にありそうです。

 

連絡をしたり、お知らせをしたり、メモを取ったり、写真を残したり、時間をつぶしたり、音楽を聴いたり、お勉強をしたり、様々に使えるからこそ、「ここでは使わないでください」とは言いにくい。

 

いろんな機能が一つになった「十徳ナイフ(マルチツールナイフ)」のように、「刃物は禁止だそうですが、缶切りだけ使います。」のように反論されるでしょう。

 

そして、使っている人は、その機能が何であれ、「のめり込む」。

 

メールを主に使っている人はメールに。

 

ゲームをしている人はゲームに。

 

写真をSNSにあげようという人は写真を撮ることに。

 

のめり込んで、夢中になって、そして、離れられなくなる。

 

夢中と、病的な嗜癖アディクションは、地続きでしょう。

 

どうしてスマホには、ここまで人を夢中にさせる魅力があるのでしょう。

 

それは、スマホが「いつでもどこでも好きなだけ」を実現したから。

 

かつて、若者が夢中になったものに「ラジオ」がありました。

 

ラジオの、深夜放送を聞くのです。

 

かなりの数の若者、特に受験生が、聞いていたと思います。(もちろん僕もその一人)

 

でも、いくら好きでも、しょせんは「深夜」放送です。

 

夜中でないと聞けない。

 

たまに、録音をして日中も聞いている人もいましたけど、「カセット」なので、学校に持っていくことはできません。

 

「ラジカセ」がないと聞けませんから。そしてラジカセは、学校に持っていくには大きすぎました。

 

また、カセットも、そんなに安くもなく保管場所も取るので、録音して保存するには不便でした。

 

写真に関しても、かつては、写真を撮るというのは一仕事でした。

 

かまえてパチリというわけにはいかない。

 

カメラ本体やレンズなど揃えるのにも、かなりのお金がかかり、撮った写真をすぐには見れず、現像焼き付けにもお金がかかります。(僕の高校時代、カラー写真が1枚70円でした)

 

これがスマホだと、ほぼ制限なしに写真を撮れます。

 

撮った写真はすぐに見られるし、失敗だなと思えば消去して撮り直しも自在です。

 

しかも、写真を撮って見るだけなら、「追加料金」はかかりません。

 

そのほかの機能に関しても、基本的に、いつでも使えるし、どこでも使えるし、好きなだけ使えるのです。

 

こりゃ、のめり込みますよね、好きなことができるのなら。

 

そのうち、スマホ依存を改善する「スマホ外来」ができるかもしれません。

 

ポテチ、ポテトチップスはマイルドな「ドラッグ(麻薬)」だと言った人がいました。

 

スマホにも、同じような性質があるのかもしれません。

 

でも、中毒(アディクション)って、気がついたらなってるよね?