コロナ自粛で、和式トイレでしゃがめなくなってた

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

青空が広がった夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

朝方は、雪こそ降らなかったものの寒い日でしたが、午後には、大気が伸びをするように青空が広がりました。

 

と言っても、まだまだ寒いです。

 

寒さは、体にも頭にも、ダメージを与えているように思います。

 

寒いので、積極的に表に出ようとはしない。

 

筋力の低下を招く。

 

さらに出にくくなる。

 

という、あまりにも単純だけど分かりやすい、負のスパイラルが回るようです。

 

年取って、気にしないといけないのは筋肉量の減り具合。

 

ええ、ええ、そりゃあもう、筋肉無くなりますから。

 

去年の初夏あたり、最初の自粛騒動で引きこもっていたころ、気がついたら、「和式トイレ」でしゃがめなくなってました。

 

いわゆる、ウンチングスタイルを取ろうとすると、右足が痛くて体を支えきれなくなっていました。

 

「衰えてる!」と今更ながらにショックでした。

 

スクワットなどし出して、なんとかしゃがめるようにはなりましたけど、気を緩めると、元に、というか筋力がなくなったコンディションに戻るみたいで、今のところ真面目にスクワット続いてます。

 

それにしても、こんなところから、体の衰えを実感させられるとは、油断も隙もあったもんじゃあないです。

 

毎日適度に体を動かせよ、ということなのでしょうけどね。

 

でも、気がつかないうちに、「老化」というかパフォーマンスの低下は進行するようです。

 

からだは、でも、分かりやすいでしょう。

 

筋力が落ちたり、皮膚に弾力がなくなったり、白髪が増えたり、髪の毛が再生されなくなったりと、目に見えるかたちで突きつけられますから。

 

怖いのは、やはり頭や心の「老化」でしょう。

 

この間、友人たちとおしゃべりしてて、昔は(もうこの言葉が出る時点で「老化」かも)、スマホなどなかったから、友達とかの電話番号なんていくつも覚えてたけど、今は無理、という話しになったんです。

 

自宅は言うに及ばず、勤め先、よく電話で話す友人、親せきなど、誰でも、5つから10個ぐらいの電話番号は、記憶しててすぐにピポパと電話できたはず。

 

それが今では、ひょっとすると自分の電話番号まで忘れる時さえある。

 

「ダンナの電話番号も覚えてないわ」との証言まで出ました。

 

スマホが普及して、いろんなことを肩代わりさせた、その結果がこれ?

 

単なる「電話番号覚えられない事件」にとどまらない広がりを、まだまだ隠し持っているかもしれません。

 

自分で考えることの大切さが、ここにきて何かにつけ言われているのにも、それなりの理由があるのかもしれません。

 

心に関しても、「老化」というよりは、感受性が低くなってはいないか危惧しています。

 

昔も、怒りっぽい人はいましたけど、公衆の面前で、周りに人がたくさんいる中で、こんなにも声を荒げる人が出ていたのかと首をかしげざるを得ない。

 

もちろん、理不尽なことを指摘して、気持ちよく過ごせるようにお互い気をつけるのは大事ですけど、クレームの実際を見聞するにつけ、「発火点低くなってない?」と思うのは僕だけではないでしょう。

 

自分でも気がつかないうちに、筋力が低下するように、頭の働きも心の平安機能も、メンテナンスを怠れば、正常ではなくなるのでしょう。

 

自分に対して自覚を促す仕組みが、必要なのかもしれません。

 

その一つが「日記」でしょう。

 

紙に向かって、今日を思い起こして、行動や思考を詳細にたどるとか、出来事に対してどんな感情を持ったのか、どのような対応をしたのかなど、細かに思い出すことで、幾分かは心も静まるでしょう。

 

明日への活力も感じられるかもしれません。

 

ただ気をつけたいのは、自分を裁く場ではないので、反省はしないほうがいいと思います。

 

その時はそうするしかなかった、でも、と思えるのなら、以後気をつければそれでおしまい。

 

後は自分をほめて、自分をおだてて、今日を締めくくりましょう。

 

紙に手書きで、老化に抗いましょう。