手帳は好きに書こう、作法なんてない

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

ひな祭りの夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

行きつけの喫茶店のカウンターに、手のひらサイズのおひなさま、お内裏様とおひなさまのセットが飾ってありました。

 

ガラス製で、手のひらにすっぽり入る感じの大きさ。

 

楕円形の板のような台に並べて置けて、その後ろには、屏風までついてます。

 

でもここで大問題が。

 

どっちがどっち

 

おひなさまとお内裏様って、どっちが左?あるいは右?

 

常連のお客さんの間で議論が戦わせられたとか。

 

お客さんの一人が、その場でネットで調べ、人形屋さんの見解では、お内裏様が向かって左、ということで一応の決着を見たとのこと。

 

でもその後、別のお客さんから、「左というのは、人体で言う左と同じで、向かって右のこと」とクレームがついて、いまだに決着がついていないということでした。

 

こういう、伝統に絡む儀式的なことでは、些細な間違いが、大ごとに発展するかもしれません。

 

世が世なら、切腹もありえたかも。

 

ネットで調べた限りでは、向かって左がお内裏様、ただ、京都では、右になるのだとか。

 

なんだ、どっちでもありかよ。

 

「間違えてるよ」と言われたら、「うちは京都ですから」とか「徳川家ではこうしてました(適当)」と答えればいいのでは。

 

見事、切腹回避。

 

しきたりも、あんまり細かいと、ストレスになりますよね。

 

手帳だって、ここにはこれを書く、という書式があまりにも厳密に決められていると嫌になりませんか?

 

ある程度の書き方があっても、自分で好きに書ける自由度がないと、息が詰まりそうですし、「ここにこれを書く」に書くことが浮かばない日は、空欄で残ってしまうので、さらなるストレスにもなりかねません。

 

樹木希林さんの言葉に、「死ぬときぐらい好きにさせてよ」という秀逸なのがありましたけど、まさにその通り。

 

手帳ぐらい好きに書かせてよ。

 

後で見て、どこに何が書いてあるのかわからなかったり、あまりにもバラバラで、後で確認しづらいのなら、考えものでしょうけど。

 

とはいえ、毎日のルーティンとか、毎日書き記してその変化を見たい事柄などは、書く場所や、何色で書くかを決めておいたほうがいいとは思います。

 

ちなみに色ペンはあまり使わない派。

 

間違えたときに修正が難しくなるので。

 

かと言って、好みのペンがあるので、「消せるボールペン」にも手が出ない。

 

したがって、ボールペンで普通に書いて、後から色分けをします。

 

この方が、筆記する時にいちいちペンを替えたりしなくていいので、また、先に述べたように間違えても平気なので、「あとで色分け」はおすすめです。

 

ただそうなると、ここ数年活況を呈している色ペンの流行に参加できません。

 

具体的には、色ペンをあれこれ試したり、買ってみたり、持ち歩いたり、そのための大きめのペンポーチを購入するという楽しみをあまり経験できない。

 

色ペンや色鉛筆は好きで、これまでにもずいぶん買ってきましたが、何しろ筆記の原則が、「色ペンや色鉛筆は書くのには使わないで後でラインなどを引くだけ」なものですから、買ったはいいけど机の飾りと化してます。

 

カラフルな、それこそ、立原道造ばりの、文章の中に出てくる単語も色を変えて書くというのをやってみたい。

 

「今日、カフェに行った」という文章があったら、「今日」とか「カフェ」を別の色で書くみたいな、そんなカラフルさ。

 

後で読み返すと、きれいだったりするのでしょうけど、書くときはいちいちペンを替えないといけないので、そんなに毎日はできない。

 

どうしても1色で書きなぐって、後から色分け、そのほうが簡単。

 

でも、最近の手帳やノートの主流は、カラフルさ全盛の感がありますよね。

 

色ペンだけでなく、シールだったりマステだったり、付箋でさえも、ノートのデコレーションになくてはならないものになってます。

 

手帳の紙面がカンバス(キャンバス)で、「書くこと」は、作品を仕上げることにつながるのかもしれません。

 

それはもう、あなただけの「作品」ですよね。