手書きでゆる文字、さらにはマインドフルネス
こんにちは。
てらぴーだよ。
一区切りついた日の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
朝、田んぼに一面霜が降りていて、ベージュ色の枯れ草などに朝日が当たってきらきらと、それはきれいな光景でしたけど、体は冷えていくばかり。
お天気は良かったものの、冷え込んだ1日でした。
体本体は防寒してるし、歩いてたりするとうっすらと汗ばむくらい暖かくなるのに、手足の先っちょや何かで覆うわけにはいかない目のあたりなど、寒さを通り越して冷たいやら痛いやら。
この体温差は、なんとかならないものなのか。
手足の先まで血液を送り届ける中継的な心臓を埋め込みたい。
そのうちそれにも配電盤よろしくAI搭載のコントローラがついて、血流を自動で加減してくれるようになるのでしょうか。
サイボーグADというユーチューバーがいらっしゃいますが、そのうちあちこちで、「サイボーグなんとか」という人たちが、増殖してくるかもしれません。
そうなったら、手書き文字も、カクカクしてくるのかな。
やはり、個性を出そうと思ったら、手書きです。
特に、ペンや鉛筆で書く「硬筆」ではなくて、筆で書く「毛筆」の方が、より個性を出せるような気がします。
お習字のお手本みたいに、かっちりと書くのをあきらめると、創造の範囲が広がります。
字のうまい下手気にしないで、好きなように筆を走らせる「ゆる文字」がもっと注目されていいと思います。
その源流は、いわゆる絵手紙。
あるいは、「相田みつを」でしょうか。
短いフレーズやちょっとした一言を筆で、主にはがきに書く。
それも、まっすぐに書くんじゃなくて、字の大きさもばらばらに。
縦に書いたり横にしたり、自在にはがきをキャンバスに見立て、文ば字を走らせるのです。
この自由さは、AIにはないものでしょう。
文字としてのカタチはあるけれども、それをあえて崩す。
その崩し方は人それぞれ千差万別。
そこに、人柄が現れたり、文字に対する考え方が潜んでいたり、チャレンジングな試みが顔をのぞかせていたりするのです。
僕もたまにやりますが、大きめのノートを広げて、いつもは使わないような太めのサインペンなんかで書きなぐる。
プロッキーやマッキー、さらにはユニポスカもいいですよね。
こういったサインペンは、もたもたしているとペン先が乾くので、急いで書き進めないといけません。
でもそうした性質が、頭の中にあることを出し尽くすという「ブレインダンプ」にも似て、筆記に加速度をつけてくれるのです。
考えている暇などありません。
頭に浮かんだことを、ではなく、頭に浮かびそうなことを無理やり引っ張り出す、そんな感じ。
調子がいいと「待って、待って」と思うくらい出てきますけど、出てこない時は頭が死んだみたいに開店休業中です。
書き始めとは違う方向に「筆」が進むこともしばしばです。
でもそれが面白い。
これ、いったい誰が書いてるんだと思えると、ブレインダンプとしては成功なのかもしれません。
座禅では、湧きあがってくる思考を追いかけないといいますが、頭とか心に浮かんだことをどうしても考えたりしてしまいがちです。
でも、紙に書き出すことで、その追及を打ち切ることができるのです。
結果、雑念を浮かんだままにして、集中できるというわけです。
手書きでマインドフルネス。
これも、AIにはできないでしょう。