人生の喜びは、サードプレイスをいくつも持つこと
こんにちは。
てらぴーだよ。
生暖かい大気に包まれた夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
朝はそれなりに冷たかったのに、お日様が上がるにつれ、気温も上がったせいか、生暖かくなりました。
これはもう、雨の印。
雨が降る前日って、妙に生暖かいですよね。
雨が降る前に、と思って、なじみのカフェに自転車を走らせると、臨時休業。
張り切ってしたことは、たいてい徒労に終わる、という人生訓が思い浮かびました。
ウキウキしてればうまくいくんじゃなかったのか!?
かと言って、今日はほかのカフェに行く気もなく、すごすごと帰宅しましたとさ。
でも、家庭と勤め先以外の自分の居場所、サードプレイス、誰にも必要ですよね。
行きつけのお店、みたいな言い方をしますけど、要は、素の自分が出せるとか、または、いつもとは違う自分になれる、そんな場所があちこちにあると楽しい。
家庭や勤め先では、そういうわけにもいかないでしょうから。
逆に、家庭や勤め先でも、素の自分をさらしていたり、キャラを演じていたりすると、それはそれですごいことなのかもしれません。
経験ないですけど。
勤め先では、キャラをというよりは、猫をかぶっているといったほうが正しいのかも。
でも、あちこちで仮面をかぶったり、コスプレをしたりしていると、混乱もするでしょう。
僕は、もうスーツやネクタイはすべて処分してしまいましたけど、サラリーマンの皆さんは、あれが「制服」なのでしょうか?それともコスプレ?
ホントは、ネクタイなんてしたくないけど、これもサラリーマンのコスプレと思ってしている、と考えたら、スーツに着替えるのが楽しみに、なりませんよね。
今は冬だからいいものの、厚い湿った夏に、ネクタイを締めて、暑さを封じ込めるなんて、コスプレじゃないとやってられないと思うのですけど。
社会人の多くが、服装は言うに及ばず、顔つきとか、ものの言い方に「コスプレ」をしてませんか?
もしかしたら、「年を取って頑固になった後期高齢者」まで演じているのかも(さすがにそれはない)。
だからなおのこと、どこかで自分を解放しないとやっていけない、と思います。
東京にいたころ、阿佐ヶ谷のデニーズによく行ってたのですが、その男子トイレの大きい個室の一つに腰かけるとちょうど目の前に、ボールペンでだと思うのですが、こんな落書きがありました。
お魚じゃないと、やってられないよね
「お魚じゃないと」・・・「やってられない」・・・
初めて読んだ瞬間、落書きに向かって問いかけてました、
「何があったんだ!?」
阿佐ヶ谷のデニーズに落書きした魚願望のあなた、まだ、人間ですか?
僕たちは、物心つく前から、「ふさわしい身の処し方」を注ぎ込まれます。
それらは、社会生活を送る上では役立つこともありますが、一方で、素の自分とか自分の本音を見えにくくさせることもあるようです。
自由にしてもいいんだ、と言われて、でも結局いつもの動作を繰り返す。
でもそれは、自分の本当にしたいこととは違うので、ずれが大きくなるばかり。
そのずれが、暴発しないよう、自分の居場所をあちこちに持ちましょう。
人によっては、1か所で済む場合もあるでしょうけど。
魚になって、自由に泳ぎ回るためにも。
軽やかに、水の中でステップを踏んで。(足なかった)