妄想や組み合わせが、新しい発想になる

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

春は遠いと思う夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

午前中、寒いと思っていたら雨になり、短時間ではあったものの、「あられ」が降りました。

 

なごり雪ならぬ『なごりあられ』。

 

かき餅の新製品みたい。

 

そう言えば、新進気鋭の才能あふれるデザイナーの人が、頼まれてもいないのに、商品のCMなんかを考えると、ご著書に書いてましたっけ。

 

その人は、確か、デザインのみならず、キャチコピーやCMなども手掛けていて、依頼がないにもかかわらず、気になった商品の売り出し方やコマーシャルなんかを「妄想」する、というのです。

 

テレビやお店で新製品を見ると、自分ならこうするのになあと考えるのでしょうか。

 

でもこれって、頭の体操になりますよね。

 

テレビを見ていて気になった商品とかCMがあったら、自分ならどうするかを考えてみる。

 

どんなキャッチコピーで宣伝するか。

 

どんなCMを撮るか。

 

考えるだけならば誰にでもできることです。

 

頭の中で、思いっきり妄想を膨らませてみる。

 

一切の制限をつけない。

 

だから、どんなスターでも起用できるとか、どんなところへもロケに行けるとか、どんな特殊効果でも使えるとか。

 

何でもありとなったら、何ができるのか。

 

とは言え、CMなので、その商品を売り込まなくてはいけません。

 

既存の映像にはない、誰も見たことのない映像を妄想できるか。

 

よく、アイデアの出し方みたいな本がありますけど、結局は頭の柔らかさ、発想の自由さ、すなわち、どれだけ制約を外せるか、というところに関わってくるのでしょう。

 

「こんなことはできない」と考えてしまうと、新しいものは生み出せないでしょう。

 

もちろん、実際にはいろんな制約や縛りがあるのでしょうけれども、それらを忠実に守っていたら、誰がつくってもおんなじな教科書通りのものになるに違いありません。

 

発想を変えるというけれども、最初から「ここまで」みたいな「範囲」や「柵」があると、どうしても妄想は縮こまってしまう。

 

その縮こまりをどれだけ「だらん」とさせられるか。

 

それには普段からの服装や行動、使っている言葉なども関係してくるでしょう。

 

あるいはどれだけの、イメージの引き出しがあるのか。

 

よく言われる、アイデアは、既知と既知との組み合わせ。

 

ならば、その既知をたくさん持っていたほうが、組み合わせの数も増やせることでしょう。

 

正解のない「アート思考」が話題ですけど、そのアート思考も、これまでの何かと何かの組み合わせから生まれるものではないでしょうか。

 

天の下、まったく新しいものなどないのです。

 

時に、シュールな組み合わせになろうとも、妄想の中では何でもありです。

 

最近読んだ本に、「笑わないと開かない冷蔵庫」というのがありました。

 

「笑う」「(ドアが)開く」「冷蔵庫」、どこにも新しい要素はありませんが、組み合わさると、これまでになかったものになります。

 

しかも実現可能で楽しそうです。

 

どんな妄想や組み合わせでも、人が傷つくのはご法度ですよね。

 

手帳のマンスリーの空いたところに、1日ひと発明を書いてみてはいかがでしょう。

 

頭の柔らかさを保つために。