ぐずでもいい、そのぐずにはちゃんと理由があるから
こんにちは。
てらぴーだよ。
桜がどんどん満開になる夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
ぼやぼやしてたら桜を見逃すかもしれない。
もう少ししたらもっと満開になって、もっと見ごろになるかもしれない、と思っているうちに雨とか風で散ってしまう恐れもあるので、素早く実行に移すべし。
と思ったら、明日は早速雨予報。
こうして先延ばしされるのですね。
「そのうちいつかはやってこない」とか「明日やろうは馬鹿野郎」なんて、辛辣なのもありますが、すればいいと分かっているのに、お尻が重たいという人も多いはず。
とはいえ、ぐずぐずしている人だって、何から何まで愚図なわけでもないでしょう。
一人の人の中でも、すぐに実行できたりできなかったりするこの実行力って、どのへんにエンジンがあるのでしょう。
目標に対する強さの違いとか、認識の深さでしょうか。
「何が何でもしなければならない!」と思っていたら、実行に移しやすいでしょうか?
実行したらどうなるのか、しなかったらどうなるのか、その違いをどれだけ親身に捉えられるか、その違いでしょうか?
あるいは、しなければいけないことは分かっているけれども、どうしていいのか、その最初の一歩が踏み出せないのか。
それとも、やり方が、方法論が分からないのか。
しなければいけないと認識していることが、自分には大きすぎて、どう動いていいのか分からないのか。
それとも、失敗したらどうしようといった、負の感情が先に立ち、足がすくむ状態なのか。
いきなり世界一のバンジージャンプに臨むことになって、「ひもが切れたらどうしよう」とか「水面に激突しないのか」とか「失禁するかもしれない」「靴が脱げるかも」などと、次から次にマイナスの感情が、天然温泉流しっぱなしのように湧き上がってきて、成功した時の爽快感を押し流すからでしょうか?
ここはひとつ、自分の内面と向き合って、どうして実行できないのか、自分との対話を試みてもいいかと思います。
僕も過去にぐずぐずしたことは数知れず、後悔したことも限りなくありますし、好機を逃したことだってそりゃあ山のように。
その一方で、あの時あの場面で動いてよかったなと思えることも多いです。
結局は、準備ができているとかいないとかは関係なく、やれば必ず何かが動き出す、と思います。
マイナスの感情も、もれなくついてくるおまけのようなもの。
消えることはありませんし、そのすべてを解消することも不可能でしょうし、そうすることと実行の間には、実は関連なんてなかったりします。
ただ、動けないのだけれど、どうしても諦められないことであれば、今は雪山で動けなくなって穴を掘り、吹雪がおさまるのを待っているみたいに、自分の夢を温めているだけでもいいかもしれません。
無理には動かない、でもあきらめない。
待てば海路の日和ありというではありませんか。
後から振り返ったら、あの時はじっとしているのが正解だった、ということが見えるかもしれませんから。
今生きているのなら、これまでの選択は、正解だったのだと思いましょう。
だからと言って、傷ついたり倒れたりした人が間違っていたということにはなりません。
たぶん、どんな選択も、今につながっているのだから、これでよかったのだ、と思うようにして、次を楽しみましょう。
さて明日は、どんな課題が降ってくるのでしょうか。