農業初体験は、極度の筋肉痛だった

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

春進行中の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

3月が、今年度が終わってしまう。

 

あなたの春は、どんな感じでしょうか。

 

今日、田植えというかその手前の作業のお手伝いをしました。

 

前々から気になっていた農家(農業法人)があったので、面識もないのにお手紙を書いて「働かせてください」

 

2か月後、「じゃあ、ちょっとやってみるか」と言われて、今日が初日でした。

 

社長は「種まき」と言ってましたが、要は苗代づくりなのでしょう。

 

機械にセットされた薄型の容器に、土と種もみが敷き詰められてどんどん排出されてきます。

 

たぶんひとつ15キロくらいの大きさ。

 

高さ(深さ)は数センチでしょうか。

 

大きさが、紙で言うとA3ぐらいかな。

 

その、機械から吐き出される薄いケースを、バケツリレーのように受け渡して積み上げていくのです。

 

機械は休みません。

 

だからどんどん受け取っては次の人に渡していく。

 

僕は、機械から最初に受け取る係でした。

 

ベルトコンベヤーのように流れてくる容器を受け取って、少し持ち上げて後ろの人に渡す。

 

流れ作業なので気が抜けません。

 

で、最初は良かったんですよ。

 

でもそれが2時間近く続くので、だんだん力が入らなくなる。

 

でも手を止めるわけにはいかない。

 

すぐ持ち上げないと、土に巻いた種もみがひっくり返ってしまう。

 

何としてでも、それだけはしてはならない。

 

というわけで、今日は僕は午前中だけでしたけど、両腕の筋肉が無事死亡なさいました。

 

これが、1日中続く日もあるのだとか。

 

間をおいて今月の作業の中心はこれみたいです。

 

今夜は風呂上りにサロンパスを貼らなきゃ。

 

というわけで、4月を待たずして、新しいことも始めてます。

 

これまで、自分に見せている風景がおんなじだったな、という反省の下、生活を変えようとはしているのです。

 

「生活の立て直し」、でも気がついたら、何かしらいつも「生活の立て直し」って言ってないか自分?

 

という反省もあるのですけど。

 

まったくそれは、進歩がないということなのでしょう。

 

けれどもどこかで、「このまま終わってたまるか」という気概もあるのですよ。

 

ただその気概というやつが、少々マンネリ化していたようで、自分の人生なのに他人事のような感覚がありました。

 

そこでいつも思い出される言葉が、「動けば変わる」

 

もしいつも見ている風景が同じなら、それは動いていないからでしょう。

 

そして、そんな生活を続けてはなりません。

 

それでは自分があまりにもかわいそう。

 

自分が見える風景を変えないのは、ある意味自分に対する虐待のようなものですよね。

 

「それでもかまわない、何をやってもだめだ」と自暴自棄になった時もありましたけど、あきらめきるにはもったいないという気持ちが、相撲の土俵の徳俵のように、ギリギリのところでストッパーになってくれたのです。

 

そうして動き始めた活動の一環が、農業を体験する、でした。

 

近年体験したことのない筋肉痛になると思いますけど、そんなの、ふりかけみたいなものですよ。

 

あったほうが断然楽しい。

 

というわけで、明日は明日で新しいことが待ってます。

 

自分を新しいステージに連れて行きましょう。

 

見たい景色を見せてあげようではないですか。