何かを書けば、どこかにつながる

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

ずいぶんと冷え込んだ夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

久しぶりに夜遅くのブログ。

 

新しい生活が始まったのさ。

 

今日のお昼ごろ、お天気も良くて桜も満開だし、公園に出向いてお花見をしました。

 

小さな公園ですが、周りをぐるりと桜の木が取り囲んでいます。

 

自転車に乗りながら、スマホでビデオ撮影すると、満開の桜が連なってきれいかと思いましたが、いざやってみると、バランスは崩すわ、結構地面がデコボコで、とても「流れるように」撮影なんてできないわで、早々に諦めました。

 

もっと気合いを入れて、お花見をすべきなのかな。

 

マンスリーも新しくなったことだし、生活を充実させて、これまで以上にいろんなことを書き込んでいきましょう。

 

自分の毎日の詳細にもっと目を向けるということです。

 

もし宇宙人がやって来て、あなたの今日1日に密着したら、たぶんいろんな質問を受けることでしょう。

 

「これは何だ」「あの行為は何か」「どうしてあんなことをするのか」考えてみたら、やってる本人にも分からないことっていっぱいあると思います。

 

あるいは、説明するまでもなく当たり前のことなので、引っかからないでスルーしちゃっていることとかもたくさんあるでしょう。

 

そのすべてに意識を向けられなくても、そのうちのいくつかに関心を持ってみるのも面白いかもしれません。

 

何も宇宙人でなくても、外国の人から見たら不思議なことは僕たちの生活にあふれているはず。

 

それをちょっと気にしたり、または調べてみたり、あるいは観察を続けたりしていくと、思わぬ生活の癖のようなものが浮かび上がるかもしれません。

 

自分や自分の家族だけがそうしているのか、日本人なら大抵の人がそうしているのか、いろいろあると思います。

 

お花見一つとっても、そのやり方とかにいろんなレベルで「個性」が出ているかもしれません。

 

我が家のしきたりみたいなことから、石川県の人はこうするといった県民気質みたいなこともあるでしょうし、もしかしたら、本州限定のような風俗なのかもしれず、あるいは日本人なら誰でも、と思っていたら実は歴史が浅かったとか。

 

お花見の桜はほとんどが「ソメイヨシノ」でしょうけれども、それは幕末から明治初年ごろに品種改良されたものらしいので、明治以前のお花見では、もっと色の濃い山桜なんかが見られていたのでしょう。

 

「桜が満開できれいですね」の具体的な内容も、時代によって微妙に異なるのです。

 

時にはそんな、歴史的な由来を調べてみて、思わぬ発見をすることもあると思います。

 

仮に歴史が浅くても、生活の中にすっかり定着していることだってありますよね。

 

そうしたいちいちに、これまで気にもとめなかったあれこれに、ちょっと目配りをして、生活の記憶を膨らませてみましょう。

 

今日は特に何もなかった、で終わるのではなくて、「そう言えばこんなことをしたけど、それにはどんないきさつがあるのだろう、なぜそんなことをしているのだろう」

 

単なる疑問で構いませんから、ちょっと手帳に書きとめておけば、思わぬ進展が待ち構えているかもしれません。

 

脳は、書かれたことを気にしつつ、サーチすると言われてますから。