手で文字を書くその間に、とんでもない量のアーカイブが浮かんでる、かも

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

寒さがぶり返している夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

寒い。

 

これが寒の戻りか、と思っていたら、明日はさらに冷え込んで、それが寒の戻りであるそうな。

 

だから今夜は、寒の戻りイブ。

 

そう言えば、昔東京の塾で教えていたころ、北海道から転校してきた小学生の姉妹がいました。(主に中学受験の塾だった)

 

話していて、桜か入学式の話題になって、「桜と言えば入学式だよね」みたいな話になった時、妹の方がこう言ったのです。

 

「せんせい~、私の入学式、吹雪だった」

 

自分は世界の広さを知らないなあと思った次第です。

 

それにしても寒い。

 

外が雪になったようだ。鉛筆の字が太くなる。みたいな詩があったように思います。

 

こういうのは、手書きじゃないと味わえないでしょう。

 

とはいえ、今じゃあ空調は完璧だから、外の天候がどんなであっても、屋内の勉強部屋やリビングには、影響なしなのでしょうか。

 

受験生と言えば半纏、という時期もあったように思います。

 

キーボードやそれに代わるデジタルな入力がいかように進もうとも、手で書く文化を無くしてはいけない。

 

手書きの良さは、ひとえにその面倒くささ。

 

いちいち字を書かないといけない、ということはその分時間がかかります。

 

でもその、文字を書いている時間に、我々の脳の中では、おそろしいまでの情報処理が行われているに違いないのです。

 

例えば「今日」と書くときに、ワープロスマホなんかでは、文字を打っていくだけで、時間の長短にさほどの違いはないものと思われます。

 

「今日」をローマ字入力する際、kyouと打っていくわけですが、kに比べてyの方が時間がかかるなんてことは、ない。

 

でも手書きだと、「今」にかかる時間と「日」にかかる時間は同じではないでしょう。

 

さらに言えば、「歯」も「は」も、同じ「は」ではありますが、明らかに「歯」の方が書いている時間が長い。

 

その「歯」の一画一画を書いているときに、脳はいろんなことを思い出しているに違いありません。

 

「歯」という漢字の字形を間違えないように、記憶から呼び出すだけでなく、「歯」関連の記憶、歯磨きのこととか、虫歯や歯医者に通ったことなどを、まさに一瞬のうちに思い出しているはずなのです。

 

それで時に、書き間違いをしたり、過去のワンシーンが思い起こされたりするのです。

 

ただ、そうした自分アーカイブを丹念に味わうことができない。

 

なぜならあっという間に「次」に進んでしまうから。

 

「歯」だけ書いてフリーズしているわけにはいきませんので、「歯」「を磨こう」とか「そろそろ」「歯」「医者に行かないと」なんていう文章のカタチで考えたり書いたりするでしょうから。

 

なので、「歯」と書いた時点で浮かび上がった様々な連想は、瞬く間に消え失せて、次のアーカイブへと移行するのです。

 

でも、思い出したり連想したりといった痕跡は残るのだと思います。

 

時にその「きれっぱし」みたいのが、頭の片隅に残っていたりしますから。

 

字を書いたり、考え事をしていたりする時に、「あれ?なんでこんな映像を思い出したんだろう」とか、「なんでこんなことを考えたのか我ながら不思議」といった断片に、気づくことがありませんか。

 

たとえ、なんでこんなものが頭に浮かんでいるのか分からなくても、そうやって頭が活動していることが、大切なのではないかと思います。

 

脳科学的に、なんの根拠もありませんけど。

 

でも、手書きには、そうやって、脳を活動させるエンジンのような働きがあって、それはパソコンやスマホの入力とは大きく違うのだ、と信じてます。

 

手書きで字を書くその間に、脳は、スパコンも真っ青の、アーカイブあれこれ詰め合わせセットを作っているのかもしれません。

 

手書きは文化です、そして、何かで代用することはできないと思います。