体は老化しても、頭や心は老化させたくない
こんにちは。
てらぴーだよ。
まだまだ寒い夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
パソコンが不調で、しかも直し方も分からず、1時間以上が過ぎましたとさ。
途中まで打った文章もネットのかなたに消え、何を書くつもりだったのかも忘れ、手がかじかむばかりです。
日常の生活で、自分の意にならない事態に出会うと、イライラしてしまいます。
年を取ると、もうそれだけで、自分の体でさえも、自由になりません。
以前と同じように動かない手足に、どうしてもイラついてしまう。
怒りっぽくなるのはこれが原因かと分かったところで、寛大にはなれません。
どうしても、かつてのように動くことをわが身に要求してしまいます。
RCサクセッションの歌に、
「どうしたんだ、へいへいベイビー」
という、調子の悪いバイクに向かって叫ぶのがありますが、まさにそんな感じ。
あの頃は、もっと滑らかに動いたじゃないか、それなのに今日はどうしたんだ。
どこかで「老い」を認めたくないのでしょう。
でも、体の衰えは、毎日鏡を見るだけでもはっきりと分かります。
肉体の衰えも、お風呂に入るときとか、思いものを持ち上げる時などに、それはもう残酷なくらいに見せつけられるのです。
今はまだ、こうして文章を綴ってはいますが、そのうちに、支離滅裂になってきたらどうしよう、という恐怖もあるのです。
その時は、本人には自覚がないのだから、本人に限って言えば、その支離滅裂さも理解できないので、恥ずかしくもなんともないという意見もあるようですが、でもやっぱりみっともない。
同居している家族でもいれば、止めてもらえるかもしれませんけど、一人暮らしの場合は、もう垂れ流しもいいところなのでしょうか?
それとも、文章が支離滅裂になってきているのなら、パソコンの電源も入れられないくらいになっているのでしょうか。
いずれにせよ、認知症にはなりたくないものです。
認知症になりにくい食事とか、頭の使い方、運動など、ネットでもよく紹介されてます。
これからのビジネスチャンスも、そこいらへんにあることは間違いないでしょう。
その一方で、そうした老人を食い物にする悪質なビジネスもまた、増えていくのでしょうか?
健康寿命が話題です。
長生きはしたいものの、寝たきりになって10年20年を過ごすというのは、やはりどうかと思います。
体の衰えは仕方ないし、それを補うテクノロジーも日進月歩ですから、不自由はしなくなるでしょう。
問題は頭や心の老化でしょうか。
ものごとを考えられなくなったり、感動することが少なくなったりするのも、人として、避けたいところです。
こちらの分野も、脳に電極なぞ埋め込んで、半ば強制的に考えたり、感情を高めたりできるようになるのでしょうか?
筋肉の代わりとなる「パワードスーツ」は受け入れますが、思考や感情を補助する電極は、ごめんこうむりたいものです。
字を書くことで、文字を読むことで、人と言葉を交わすことで、頭と心を健やかに鍛えていくしかないでしょう。
我々は「コトバを使うサル」、ホモロクエンスなのですから。