今日の出来事のすべては過去の結果、ならば明日からは?
こんにちは。
てらぴーだよ。
雨でその分寒くなった夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
感染拡大中のゴールデンウィーク。
このままだと、2年連続で「百万石まつり」が中止になるみたいです。
インドも大変みたいだし、いったいどうなってしまうのだろうという不安を、もう何度繰り返したか分かりません。
自分と向き合う時間はもういいから、友人たちと気軽に集まって、ハグなんか交わしたい。
コロナ前は、気の置けない友人たちと、会ってはハグ、帰り際にもハグ、だったのに。
スキンシップといいますが、生活から奪われましたね。
せめてはお気に入りの紙類と、戯れることといたしましょうか?
ビジネスユースに変身した、コクヨの『測量野帳』「スケッチブック」ですが、実物はまだ見てません。
在宅ワークが増えた影響で、紙の手帳の人気も上がっているらしいです。
でも実際の売り場を見ていると、4月始まりの手帳が今一つ盛り上がってないような印象を受けました。
いつも覗く雑貨屋さんでは、売り場そのものが縮小してた感じです。
まだまだスケジュール管理だけに使っているのでしょうか?
それとも、手帳はスケジュール管理だけにして、別にノートを用紙して、日々の気づきなんかはノートに書いているのでしょうか。
毎日毎日、スケジュールをこなしても、こなせなくても、スケジュールそのものが入ってなくても(これはこれで悲しい)、何かしらの「種」を蒔いているようなものですよね、生きるって。
今日したこと、しなかったことが「種」となって、すぐにあるいは時間をおいて「実」となって表れる。
そんな「種」を、今日いくつ仕込みましたか?
以前蒔いた「種」を、今日どのような形で受け取っていますか?
生きていくっていうのは、そんな、原因結果の繰り返しなのかもしれません。
もちろん、どの「種」が、どんな「実」になったのか、その経緯が見えないこともあるでしょう。
どうして自分の身にこんなことが起きるのか、分からない理不尽さを感じたこともあるのではないでしょうか。
時には「一体俺が何をしたって言うんだ」と、神様に聞いてみたくなった時もあるのではないでしょうか。
今の自分のすべてが、過去に自分が蒔いた「種」の結果、と言われても、これとこれは分かるけど、これに関しては責任は取れない、なんていうこともあると思います。
そんな時に「前世からのご縁」と言われてもねえ。
確かに、仏教の教えだそうですけど、
「袖すり合うも他生の縁」
ということわざがありますよね。
これって、不思議じゃないですか?
「着物の袖が少し触れた程度の関係であっても、前世からの関係でそうなっている」なんて言われても、確かめようがありません。
ていうか、前世があるという前提でのことわざではないですか。
前世があるということは、人は生まれ変わるという考えが下敷きにある。
そしてこのことわざが、人から人に伝えられて生き延びているということは、これを聞いた多くの人たちが「そうだよな」とどこかで納得していたということでしょう。
逆に、これを聞いた人たちが、「前世とか、多生とか、生まれ変わりとか、そんなことがあるもんか」と思っていたのなら、今日にまで伝わってはいないでしょう。
どこかで、「生まれ変わり」とか「前世」といった考え方が広く普及していたのだと思います。
そうした、「生まれ変わる」という考え方を広めるためにこんなことわざを作ったとも言えそうですけど、否定されてはいないところに、なにがしかの真実も含まれているのかもしれません。
今ある幸や不幸が、前世からのつながりだとは証明できませんが、これからのつながりをマイナスにしないために、これからの行動や思考を整えることはできるでしょう。
手帳や日記、あるいはノートを出して、これからどんな「種」を蒔くのか、イメージしても楽しめますよね、寝るまでの一人時間を。
『野帳』の話もしたかったのだった。