今日飛来しなくても、とは思いました
こんにちは。
てらぴーだよ。
洗濯をした日の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
曇り空だったけど、洗濯をしました。
パンツとタオルのローテーションが崩れそうだったので。
でもネットの天気予報を見たら、日本海側にあの方が飛来しているとか。
衛星写真でもかなりくっきりと、黄色味を帯びた流れが見て取れます。
黄砂。
日本海側では、春先の風物詩のようなものではありますが、砂にくっついて、いろんな有害物質も飛んできているそうなので、「洗濯物は、外に干さないほうがいいでしょう」と予報は教えてくれてます。
なので、室内干しとなりました。
人生、タイミングですよね。
たまたま、黄砂が飛んできた日と僕の洗濯ローテーションがシンクロしただけ。
でもそのシンクロを、必要以上に価値づけていたりもします。
ついてないとか、運が悪いとか、なんでこの日に、こんな運命かよ。
と嘆く日もあれば、そうでない日もあって、おそらく長い目で見ると半々だと信じたいですが、結局は、自分の気持ち次第なのでしょう。
経営の神様・松下幸之助は、新入社員の面接のとき、
「あなたは運がいいと思いますか?」
と聞いて、「運がいい」と答えた学生だけを採用したと言われてます。
生きていれば必ず何かが起こる、それをどう評価するかはその人次第。
そこに、価値観や人生観が現れるのでしょう。
「今日は運が悪かった」とか「いやなことがあった」とマイナスに受け取るよりは、そこに「幸運の印」がないか、捉え直す方が、ストレスをため込まなくて済むと思います。
と思っていても、へこむときはへこむし、気分がマイナスに振れることもあります。
いつまでも、マイナスから浮上できない時は、早めに寝てしまうか、手帳またはノートを開きましょう。
自分を捕まえて離さないマイナスの感情は、いろんなことがごっちゃになって、混線していることが多いです。
何が起きたのか「事実」と、そのことを「どう感じたのか」をはっきりと分けてみましょう。
事実そのものに、いいも悪いもないはずですが、こんなことが起きた=最悪、という反応が、光速並みにつながっているのかもしれません。
できれば、ボールペンで、色を変えて書いてみてはいかがでしょう。
事実はこうだ、と思っていても、その中にすでに「判断」や「評価」が混じりこんでいたりしますから。
何が起きたのか、事実は黒で、それに対して自分はどう感じたのか、反応したのかを青で、書き分けてみるのです。
一通り書き出したら、見直しをして、事実の中に感情が紛れてないかをチェックしてみましょう。
また、自分の受け取り方が、すべて正直に書けているかも確認しましょう。
誰に見せるわけでもなく、自分だけに書いているのですけれど、「こんなことを書くのは恥ずかしい」と思ったり、正直な感情を隠したりもしますから、自分って。
特にひどい攻撃の言葉なんかがそうで、その時はそう思っていても、後から書くときには、いくらなんでもこんなこと書けないし、その感情は薄れているので、書かなくてもいいか、と自分を見失う方向にずれたりしますから。
自分の感情を書き出すのは、時に、意外と難しかったりします。
でも、それも鍛錬。
何度も書いていると、次第に素直に正直に書けるようになると思います。
そして書くことで、マイナスの激しい感情が、おさまるのを感じたり、プラスの面を見つけたりできるかもしれません。
いきなりプラスにいかなくても、マイナスが減るだけでも、書いたことの功徳はあったと思い込みましょう。
自分の手で書くことには、不思議な力があるのです。
もちろん今日の洗濯は、正解です。
パンツとタオルのローテーションが守られそうだから。