「ポスト・イット」「付箋」の生みの親スペンサー・シルバーさんが亡くなる

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

少し自転車をこぐと汗ばむ夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

訃報です。

 

ポスト・イット」の開発者である、アメリカの3Mの元科学者、スペンサー・シルバーさんが、5月8日にお亡くなりになったそうです。

 

享年80歳。

 

強い接着剤を開発中に、完全に接着はしなくて、後できれいにはがせる「中途半端な」接着剤を開発、何に使おうか、何年も思案していたそうです。

 

同僚のアーサー・フライ氏が、礼拝する時に、賛美歌集に挟んでおくしおりが落ちるのを何とかしたいと、その「接着剤」を利用することを思いつきます。

 

そして二人で研究を進め、のり付きのしおりを「ポスト・イット」という商品名で発売したとのことです。

 

ポスト・イット」は、ですから日本では、住友3Mの商品名です。

 

「セロテープ」が、ニチバンの商品名みたいなものです。

 

今では、「ポスト・イット」というより「ふせん」「付箋」の方が広く認知されているのではないかと思います。

 

日本での発売は、1980年ごろになるのでしょうか。

 

僕は、池袋のデパート、西武で初めて見たように覚えてます。

 

3種類しかありませんでした。

 

色も黄色だけ。

 

正方形のが250円。

 

長方形の大きいのが300円。

 

小さいのは、なぜか12個がパッケージになっていて、何と1900円もしたのです。

 

しばらくすると、お店の方でばら売りしていたところもありました。

 

確か一個130円ぐらいだったかな。

 

日本初上陸だったこともあって、チラシというかリーフレットには、正方形のが見本として5枚くらいくっついていました。

 

そうです。

 

最初は、今ではよく見る「付箋」の、あの細長いタイプのは、なかったのです。

 

日本でも、水糊を端っこに塗って、なめて使う「付箋紙」というのがあったのです。

 

書類などで注記をしたい時に、メモ書きして、ちょいとなめたりして湿らせて、貼り付けることができました。

 

その「付箋紙」が、細長い形状で、端が赤く塗られていたのです。

 

やがて、「ポスト・イット」にも、その細長い形状のが発売になり、色も黄色に加えて、白に端だけが帯のように赤いのも、商品化されたのです。

 

そのあたりから、広く普及することになったと思いますが、まだまだ一般的な文房具ではなかったと思います。

 

それが40年経って、おそらくどのオフィス、どの事業所にもあり、また、小学生から大学生、社会人、お年寄りに至るまで、ほとんどすべての場所、人のいるところに広がっているのではないでしょうか。

 

形状もいろいろですし、色だって多彩です。

 

使い方にもさまざまなバリエーションがあるのでしょう。

 

その使い方を詳細に解説した書籍も、何冊も出ています。

 

経済評論家(?)の西村晃さんは、「ポスト・イット」の魔術師と呼ばれでいたそうです。

 

手帳評論家の立神竜彦さんは「付箋王子」

 

付箋に書いたものをノートに張り付ける「ふせんノート術」もあれば、

 

小さい付箋にやることを書き出して、時間をやりくりする「あな吉さんの手帳術」もあります。

 

付箋に関しては、一家言持っている人が多い、と言えましょう。

 

学習の場だけでなく、仕事から自宅まで、ありとあらゆるシーンに「付箋」は欠かせません。

 

その付箋は、しかし、当初は使い道が分からない発明品だったのです。

 

「何の役に立つのか、研究している時点では分からない、でも、世界を変えうる基礎研究」は、確かにあるのです。

 

スペンサー・シルバー氏のご冥福をお祈りいたします。