刺激に反応するのはいいとして、いつまでもそこにとどまっていてはいけない

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

新月から1日たった夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

感情に任せて、1日を棒に振ってしまいました。

 

本当は、あれをする予定だったじゃないか、これもできたのに、と自分が責める。

 

この時の、責める自分というやつは、いわば安全地帯にいて、しかも俯瞰しているから、遠慮なく弱点をついてきます。

 

しかも、自分のことなので、過去のデータもあるし(あの時もこうしたよねと過去をほじくり返される)、自滅パターンも分かってらっしゃる。

 

相手としては、戦いにくい。

 

自分の中にいるので、逃げることもできないし、「ちょっと黙ってて」とお願いすることもかなわない。

 

でもまあ、それはしょうがないとして、問題は、崩れた感情に浸りながら、そこから帰って来れなかったことでしょうか。

 

感情を、マイナスの方向に倒すことは、いつでも起こります。

 

ある程度予想できることもあるし、予期せぬ方向から何かが飛んでくる時もある。

 

1日中、ずっと同じテンションでいられるわけもなく、上がったり下がったりは人の常、なのでしょう。

 

何かしらの刺激に、我々は反応するのです。

 

それが生きてるってことだ。

 

で、問題は、その刺激としての出来事は、コントロールできなくても、それに対する自分の側の反応は自分で何とか制御できるのではあるまいか、と思うのです。

 

反応と言っても、プラスのものはいいとして、問題になるのが、マイナスの反応、具体的には、怒りとか悲しみ、やるせなさ、後悔、羞恥、自信喪失などなど。

 

それらが自分の内に生まれるのは、致し方がないと思うのです。

 

誰でも、とは言えなくても、少なくとも自分は、そのような刺激に「怒り」を感じたり、「悲しくなったり」、元気を無くしたりする。

 

それが、自分のトリセツ。

 

問題は、それからのリカバリーができないこと。

 

早い話が、いったん怒ったら、その怒りが持続してしまう、ということなのですよ。

 

持続するということは、その間、精神状態は「普通」ではなくなるわけで、当然パフォーマンスも下がります。

 

時には、ゼロになったりもしますし、増幅して被害を拡大することさえあるのです。

 

誰か、スイッチ、切って!

 

とまあ、このように、刺激に対して反応し、それがその後の仕事やら生活に響いている、今日はそんな日だった、というわけです。

 

もちろんこのままでいいわけもなく、マイナスの感情が生まれても、その後のパフォーマンスに影響しないよう、そいつを手なずける必要があるのです。

 

それが今日の課題。

 

いったい自分のコントローラーを握っているのは誰なのか、ほぼ自動に反応してしまう感情に、明け渡してはなりません。

 

怒ったりする「反応」は許すとしても、それが尾を引くのは避けたい。

 

やるべきことが先送りになるし、仕上がり具合も雑になりがちです。

 

ノートに書き出す、というのが、解決策の一つですが、他にも考えておかないと、慣れるにしたがって、薬の量が増えるように、効き目は次第に下がっていきますから。

 

「気分転換リスト」が必要なのかもしれません。