野帳に言葉を書き出していて気付いたこと、マイナス多いやん

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

ほとんど満月の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

僕の使っている手帳では、明日に満月の印があるのに、ネットのニュースで、今夜が満月と出てました。

 

どうしてか調べてみたら、今夜のお月様が、明日の明け方、満月になる模様。

 

というわけで、今日のお月様は満月の一歩手前だし、明日の夜にお出ましになるお月様は、満月からかすかに成長なさっている。

 

じゃ、満月見られないじゃん。

 

というわけで、満月は、何かを捨てる日。

 

冬物の処分がまだでした。思い切って捨てよう。

 

コートやジャケット、着る機会が減ったりしていたのなら、来季、新しい冬には、もっと自分にふさわしいコートやジャケットが来てくれると信じて。

 

最近、頭に浮かぶ言葉などを、野帳に書きつけているのです。

 

ちょっと、生活のあちこちが、行き詰まり気味なので。

 

心や頭に浮かぶそれらの言葉やイメージの数々は、どこからくるのでしょうか。

 

たぶん、これまでの膨大な、NHKも真っ青な、自分専用の記憶庫、アーカイブがあって、そこからメモリーを呼び出すがごとく、中の人が思い出しているのでしょう。

 

書き出していて気がついたのは、そのメモリーというのは、おそらく記録庫、アーカイブスにしまわれたときから「色」が付けられていたのでは、という疑義なのです。

 

ピュアな記録、記憶なんてなかった。

 

でも、考えてみたらこれは当たり前で、今日の出来事を記録する際にも、単なる事実だけを抽出して記憶するというよりは、感情や評価もろともセットにして記録、記憶しているのでしょう。

 

今日、こんなうれしいことがあったとか、こんな嫌なことがあった、こんなことがあって頭にきた。

 

事実と感情がセットになって、「今日の出来事」としてアーカイブスに格納されるのでしょう。

 

なのでそれらを呼び出すときも、事実と感情のセットのまま再生されるのです。

 

しかもいろんな、無数とも思える「タグ」もつけられていて、何かの拍子に、恥ずかしい失敗なんぞを思い出したらもう大変。

 

今まで忘れていたような、記憶の底にしまったことすら忘却していた「恥ずかしいこと」が「恥ずかしかった記憶シリーズ」として、連想ゲームのように数珠つなぎに思い出されてくるのです。

 

そしてなぜか、本人が「もうやめてー」と思っていても、再生は止まらないのでした。

 

どんな仕掛け?

 

なので、書き出すのはいいとしても、マイナスのことが結構多く思い出されてきて、これも自己肯定感の低さの表れと、どこかで本人を納得させる強さもあるのですから、余計に腹立たしい。

 

いや、自分いじめをしたいわけじゃないんだよ。

 

これまでを踏まえて、これからどうしたいのか、自分は何がしたいのか、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思って、野帳を広げて、思いつく言葉、よみがえる過去の記憶など、ランダムに、支離滅裂もいとわないで、書き連ねていたけど、呼び出したメモリーというか過去の記憶などが、呼び出した時点でことごとくマイナス。

 

こんなに失敗してたっけ?

 

これではあまりにも自分がかわいそうと思い、いいところもあったでしょ?と問いかけても、頭がもう「自虐モード」なものだから、「お探しの記憶はありません」とエラーが出るばかり。

 

いや、そんなことないって。

 

というわけで、マイナスに浸ったおかげで、プラスの存在も考えてみようという気持ちも出てきました。

 

野帳に書き連ねた文字どもが、あまりにも悲惨すぎたので。

 

過去のアーカイブスにアクセスするときは、プラスが返ってくる質問を用意するべきですよね。