梅雨の真っ最中に、まともな傘がない
こんにちは。
てらぴーだよ。
いつの間にか部屋が暖められている夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
梅雨の時期だというのに、つくづく傘とは縁のない人生であったと、しみじみ思う。
なにしろ、10年愛用している傘すらないのだから。
いや、正直に申せば、5年来愛用している傘もない。
いやいや、さらに告白するならば、つい先日も、買って3回も出動したであろうかというほぼ新品の傘を強風で骨を曲げられたばかりなのだった。
骨が黒かったので、てっきり、しなやかに曲がり元に戻るカーボンファイバーだと思ったら、鉄骨なのであった。
曲がったら、もう廃棄まで時間の問題。
ああ、なぜこれほどまでに、傘に縁がないのでしょうか?
思えば、自分用の傘を買ってもらったのは、何歳のころだったのか。
覚えているのは、幼稚園の時に買ってもらってお気に入りだった、新幹線の傘。
たぶん開通して間もない東海道新幹線にあやかっての傘であったのだろう。
新幹線がイラストになって、それがちりばめられた青を基調とした傘であった。
雨上がりの通学路を、近所のさとしちゃんと遊んでいて、雨で水かさが増した道路わきの水路に突っ込んだからさあ大変。
水路が、道路の下を通る暗渠になっていて、哀れ、幼稚園児の傘は吸いこまれていきましたとさ。
慌てて道路の反対側に走るも、傘は出てきません。
途中で引っかかったのだろう。
そこにごみなどがさらに引っかかって、水があふれたらどうしようと不安になって、しばらく不安につかまっていたので、覚えているというわけなのでした。
それから小学校に上がり中学生になり、いろんな傘を買ってもらったはずなのに、いつの間にかなくなっているのです、というか、覚えてない。
東京の荻窪あたりに住んでいたころ、吉祥寺の駅ビルが改装で、テナントが閉店セールをしていました。
はっきりとした数字は覚えていないのですが、「962ミリバール」という、低気圧な名前のお店で、傘を買ったことがあります。
持ち手が曲がってなくてまっすぐで、その端っこと、傘全体の先端に細いベルトがかけられるようになっているのです、つまり。
肩掛けで持ち運べるのでした。
何なら、忍者のように、背中でななめ掛けもできました、しませんでしたけど。
濃い青のデニム地だったように覚えてます。
すごく気に入って、雨の日はどこに行くのも一緒だったのに、いつの間にか消えてました。
それから、正社員というものになって、お高い傘の一つも買ってみようと自分の中の最高指導者会議で決定。
5800円を奮発しました。
さすがにここまでいくと、水の弾き方がバーバリーのレインコートかってくらい弾きます。バーバリーのレインコート、知らないんですけど。
これも愛用してましたけど、骨の先端(多分名前あるんだろうな)が欠けて、修復が不可能と分かった時点でお別れです。
そのほか、置き忘れたり、お店の傘立てから盗まれたり(これは本当に頭にくる)、傘にまつわる思い出は尽きませんが、みんなどうして僕の元を離れてしまうのか。
世の中には、大分昔に買った傘を大事に今も使っているとか、これはおじいさんの代からの傘、なんて代々引き継がれた傘を差している人もいることでしょう。
ああ、うらやましい。
そして、僕の手元にまともな傘がない。
また、どこかのドラッグストアーで、今度こそ、カーボンの傘を買うのだ、ということは決めているのでした。