昆虫の擬態が不思議だ、誰がデザインしたの?

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

日に何度もシャツなど着替える夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

撲滅したと思ったのに、あっという間に湧き出るコバエ。

 

あいつらのライフサイクルはどうなっているのか。

 

通常、完全変態の昆虫というやつは、産卵を経て、幼虫、さなぎ、それから成虫という生涯を送るものと思っていましたが、我が家のコバエの増殖ぶりを見ていると、違うのではないか。

 

コバエのお母さんが、いきなりコバエを生んでいるとでも考えないと、あの増殖ぶりを説明できない。

 

しかもお母さんが無性生殖で、自分で勝手にわが子を増やすような、「子」じゃないか、生まれた瞬間成虫。

 

もうその増えっぷりときたら、どんなねずみ講ネットワークビジネスも太刀打ちできないような仕組みでもって「子孫」を増やしている。

 

地球上の生き物で、もっとも繁栄しているのは昆虫だという意見があるらしいけど、全面的に賛成。

 

我々も、もっと昆虫に学ぶべきなのかもしれません。

 

昆虫でよく分からないのが「擬態」というやつ。

 

自分はそれほど強くもないし毒なんかも持たないのだけれど、強いやつとか毒を持った仲間の姿をコスプレしてるやつ。

 

いったいなんだってそんな発想をして、しかもコスプレに成功しているのでしょう。

 

皮膚というか外骨格に、何かを塗ったというわけではなく「地肌」なので、性格には「コスプレ」とは言えませんが。

 

自分は「スズメバチ」じゃないくせに、スズメバチのような、黄色と黒のツートンカラーにして、相手をビビらせようだなんて。

 

さらにすごいのは、仲間ではなく樹木の表面とか枯れ葉、さらには蘭の花なんかに擬態するのまでいるということ。

 

「また今日も仲間が鳥に食われっちまっただよ。そうだ!この羽根を枯れ葉のようにすれば、見つかりにくくなるんじゃないか?」

 

とでも思ったのだろうか、最初に「擬態」を夢想した個体は。

 

でもそのおかげで枯れ葉に擬態できて捕食者に食べられることも減り、子孫が生きながらえているのであれば、大成功ではないですか。

 

まさに、昆虫版「思いは現実化する」

 

しかし考えてみると不思議で、どのように擬態をデザインしたのでしょう。

 

誰がデッサンしたんだ。

 

「ええと、ここがこうなって、ここはこんな色で、あ、このあたりに虫食いの穴を一つつけとけば、よりリアルになりますよ」なんていうデザインな進化を何億年にもわたって繰り返してきたのでしょうか。

 

それとも、「たまたま」葉っぱとかに似たデザインの個体が「突然変異」で生まれ、生存率も高かったのでその後のスタンダードになっていったのでしょうか。

 

すべては進化のみぞ知る。

 

ただ、擬態を、絵にかくとか、写真に撮るかのように捉えなくても、一瞬で「コピー」できる「方式」があると思います。

 

それは「波長」です。

 

もともと「色」なんていうものは、ないのだそうです。

 

あるのは「波長」の違いだけ。

 

ある波長を感じたら、脳がそれに「色」を割り当てているのだそうです。

 

イヌや牛は、白黒の世界に住んでいるそうです。

 

木々の葉っぱを見て「緑」だと思うのは、「真実」ではなくて我々の脳がそのように見せているだけ。

 

昆虫の擬態も、擬態する対象物を「絵」のようにとらえているのではなくて、「波長」を真似しているだけなのではないか。

 

そう考えると、例えばスズメバチの擬態で、ここからここまでは黒、ここからここまでは黄色などという捉え方ではなしに、全体を「波長」として把握しているのではないでしょうか。

 

一つひとつのものを個別にとらえないで、全体でとらえるものが、スピーカーではないでしょうか。

 

オーケストラの音楽を再生する場合でも、スピーカーの中にそれぞれの楽器があるわけでも、楽器ごとの音を再現しているわけでもありません。

 

その瞬間の波長を一つのスピーカーで、一つの膜の振動で、再現しているのでしょう。

 

もちろん音域によって、スピーカーを使い分けると、より立体的に音楽を再生できますが、音の良しあしを我慢すれば、一つのスピーカーで再生は可能でしょう。

 

すべては「波長」なのです。

 

我々も、我々の記憶も波長である、という観点から、捉え直すことができるかもしれません。