「ブルシットジョブ」と資本主義、もうそろそろだよね
こんにちは。
てらぴーだよ。
自分の存在がどうでもよくなってきた夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
「ブルシットジョブ」(くそどうでもいい仕事)というのが話題です。
世の中には、その仕事がないと人々の生活が成り立たない仕事と合ってもなくてもいい仕事があるようなのです。
いったい、いつからこんな社会になったのでしょうか?
昔は、ものを作る人は、ほとんどそのものを売る人であったと思います。
生産者が販売者であったわけですね。
それが、個人商店ではなく会社組織となり、作業も細かく分担化されていくにつれ、あるいは雇い入れた従業員を働かせるために、新たに部署を増設していくにつれ、「どうでもいいような仕事」が生まれてきたのでしょうか。
現場でモノを作ったり、現場でモノを売ったり、現場でサービスをしたりという方々は、なくてはならない仕事なのでしょう。
けれどもそれらを監督するとか、部門と部門の連絡係のような立場の人は、いてもいなくてもさほど変わらないのかもしれません。
とめどない業務の細分化が、いつしか「ブルシットジョブ」を生み出していったのでしょう。
けれども採用にあたっては、必要と思えたから採用したので、なかなかに「あなたは必要なくなりましたからおやめください」とも言えないのでしょう。
時折り、大企業であっても、退職を迫る部署の存在が漏れ伝わってきますから、現実の実態は凄惨なものがあるのかもしれません。
お給料には「ガマン代」というのが含まれているのだよ、だなんて、まことしやかに語られたりするのは、健全なことではないでしょう。
勤め人、サラリーマンは、農林水産の第一次産業から見たら、毎月お給料日には決まった額のお金がもらえるという点で、人々を、引きつけたのに相違ありません。
けれどもそれは「戦後」の話。
それの、その「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」の時代はとうに過ぎ、お給料は上がらず、リストラはされるかもしれず、先行き不透明な環境が、もうかれこれ30年ばかり続いているのです。
そして、「ブルシットジョブ」だなんて。
働き方だけでなく、我々を取り巻く大きな機構、資本主義もが、「リストラ」の対象になったというべきでしょうか。
いましばらくは混乱が続くでしょうけど、おそらくここで資本主義を見直すのか、それとも結局のところは問題点も何もかも、資本主義が飲み込むのでしょうか。
地球環境を守るはずの「レジ袋削減」も、資本主義の前では、「エコバッグ」という新たな市場を生み出したにすぎません。
どんなトピックも、大量生産大量消費の前では、市場化するのは避けられないと見えます。
けれども今回の見直しは、少し気合いが入っていると思われます。
なぜなら、環境問題が、本当に差し迫った問題として立ちふさがっているからです。
斎藤幸平さんの提言が、より広く、より深く届いて欲しいと思います。
もしかしたら、私たちの生活の在り様が、「ブルシットジョブ」を生み出しているのかもしれません。
「消費者の要求に応える」という名目のもと、「どうでもいい仕事」が生み出されているのだとしたら、私たちも加害者ではないですか。
こうした持ちつ持たれつが、「ブルシットジョブ」を支えているのかもしれません。
コロナ禍で、「ブルシットジョブ」についてはよくわからずとも、「我々の生活を支えてくれている大切で必要な仕事」については、十分わかってきたのではないですか。
そうした、どんな時代になろうとも、必要な仕事を中心に資本主義を見直してみましょう。
案外、なくてもなんとかなりそうではないですか?
これからは、「不便が必要」な時代になるのかもしれません。