吉本ばななさんの対談本『ウニヒピリのおしゃべり』が気になってます
こんにちは。
てらぴーだよ。
引きこもっている夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
主に野帳に、その時々に考えていることを綴っています。
ことばがどんどんあふれ出てくる時もあれば、書こうとしてペンを握ったはいいけど、何も書けない時もあります。
何がそうさせているのか、とにかく僕の精神は気まぐれです。
数日前より、作家の吉本ばななさんと、平良アイリーンさんの対談本『ウニヒピリのおしゃべり』につかまっています。
平良アイリーンさんは、ハワイに伝わるとかいう「ホ・オポノポノ」を日本や台湾で普及させている人なのだとか。
「ウニヒピリ」というのは、潜在意識のことらしいです。
平良さんについてはともかく、吉本ばななさんは、現代日本を代表する小説家と言ってよく、信頼するに足る文筆家でしょう。
なので、何か怪しいことを言うわけでもないと、その点ではその発言を「そういうこともあるんだなあ」と聞けると思うのです。
「今日近所のラーメン屋さんに行ったよ」といった、日記風のエッセイなら、「そうなんだ」と安心して読めるものの、「今日ウニヒピリとお話ししたよ」となると、多少の修練が必要になるかもしれません。
スピリチュアルな話って、本論に入るまでもややこしい。
8月に、旧盆があって、死者を思い出したりする風習が、長く伝統としてありますが、そこで「死者が帰ってくる」と信じている人はどれくらいいるのでしょうか。
あの世についての話、魂はあるのか、といった話題になると、宗教や哲学、科学まで、様々なジャンルからの発言がありますが、発言する人は多いものの、その発言内容に「統一感」がない。
そのことがどこか、この手の話題を「怪しい」話へと貶めているようにも思います。
水は、誰がどこで電気分解しようとも、水素と酸素に分かれます。
なのに、死んだらどうなるのか、あの世はあるのか、人はなぜ生まれてきたのか、と言ったことについては、もう人それぞれ。
「ウニヒピリ」も、潜在意識のことらしいですけど、本によっては、「宇宙」とか「神様」「大いなる一つ」などと書かれていたりして、またその意味するところも微妙に違っているようです。
おまけに本当に怪しいものもあるので、スピリチュアル系の書物には、「取り扱い注意」のお札でも(魔除けの意味も込めて)貼ってほしいくらい。
とはいうものの、シンクロとか、「類は友を呼ぶ」程度のことは、だれしも日常で経験していると思います。
ありえないくらいのすごい偶然「セレンディピティ」だって、ぼんやり生きている僕でさえ、何度か経験しています。
なので、スピリチュアルなことをまったく信じない、というわけでもないのです。
ただ、いつでもどこでも電気分解、ではないので、懐疑な態度でいるしかない。
なぜか今日YouTubeで、フランスのルルドの泉を「発見した」聖ベルナデッタについてのチャンネルが流れてきました。
「奇跡の泉」と呼ばれていて、フランス医学会が厳密な「奇跡かどうかの判定」をしているそうです。
僕は、キリスト教徒ではありませんが、素朴にこの泉の奇跡を信じています。
根拠はありません。
ただ、思い込みというか、信仰が深いと、そのような奇跡も起こるのだろうな、と思っているだけです。
スピリチュアルな話題には、「なるほど」と思えるところと「ほんとかよ」とまゆに唾なことがあるので、僕はいつも宙ぶらりんです。
吉本ばななさんと平良アイリーンさんの対談本も、「そうですよね」と賛同できるところから、「なるほどそうなのですね」と受け入れられるところ、「何を言っているのか分かりません」とどこかで拒否してしまうところと、色々です。
でも考えてみたら、信頼するに足る日本の知性と信じて疑わない内田樹先生のご著書にだって、「先生、その通りです」「なるほど勉強になります」「先生それは違うと思います」が混在しているのでした。
まだまだ修行不足です。