「ゲリラ豪雨」について考えてみた
こんにちは。
てらぴーだよ。
ヒグラシも鳴き始めた夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
街路樹からはすさまじいアブラゼミの声、声、声。
そんな時、ヒグラシの声を聞くと、何とはなしに田舎の杉林なんかを思い出します。
それはそうと、また今朝もゲリラ豪雨が。
雲はあったものの、青空も広がっていたのに。
まさに神出鬼没。
いつ現れるか分からない、まさにゲリラなのです。
でもこのネーミング、すごくないですか?
「豪雨」だけでも、濁点のある「ご」に加えて、続く「うう」が一つになって、「ごーう」とスピード感を増しているのに、「ゲリラ」とは!
もちろん最初の濁点の「ゲ」が効いてますし、続く「リラ」も滑らかで、次の「ご」を導きやすくしているようです。
「ゲリラ」、なんとなく「ゴジラ」や「ゴリラ」につながるようで、強いったらありゃしない。
ゲリラというのはもちろん、正規軍に対する私兵の集まりの雑多な集団のことでしょう。
正規軍は、言ってみればプロの軍人なので、服装もそうだし、兵器もちゃんとそろっている。
これに対してゲリラの方は、寄せ集め。
軍服なんてそろってないし、ていうか服装は自由、でしょ。
武器も、供給されたというよりは、敵のを分捕った、さらには自作したものもあるでしょう。
アフガンとかの民兵組織が、日本のどこかの会社の名前入りのトラックで走り回っていたのをニュースで見ました。
中古車として海外にわたり、流れ流れてゲリラが使っているなんて、それはそれでグローバル。
ゲリラが有名になったのは、おそらくベトナム戦争ではないでしょうか。
「共産ゲリラ」として、アメリカ軍を苦しめたのです。
ベトナムの深いジャングルで、いつなんどき攻撃してくるか分からない。
単純だけど、はまれば痛い「ブービートラップ」
アメリカ軍の、圧倒的な兵器や火力に対抗するには、真正面から勝負はできないので、どうしてもゲリラ戦になるほかない、そんな事情もあったのでしょう。
有名なクーチのトンネルなんて、総延長が数キロに及び、地下の中には学校や病院、手術施設まであったそうです。
このゲリラ戦は、アメリカのトラウマになったらしく、ハリウッドの映画では、圧倒的に強い敵に対してゲリラ戦を挑む、「いいもん」の側のアメリカや人類の防衛隊が描かれたりします。
『マトリックス』で、めちゃくちゃ強い「機械側」に対して、生き延びた人類は、地下深くに都市を作り、ゲリラ戦を展開しています。
生き残った、武器も十分ではない人類の側が、強大な敵と戦うのには、ゲリラ戦しかないということを、ベトナム戦争で学んだかのようです。
農民かと思ったら、いきなり銃を構えて攻撃してきた、その変わり身の早さにも、ストレスを感じたことでしょう。
いつどこから襲ってくるか分からない、しかもそれなりに強くて怖い「ゲリラ」の名を、あの「短時間急襲にわか雨」に適用するなんて。
言語感覚鋭すぎです。
ならば、世の中の変え方も、「ゲリラ」が参考になるかもしれません。
正面切って今あるシステムを変えようとしても、そのシステムは巨大だし、あらゆるところにはびこっているし、関係する人たちも大変な数になる。
それよりは、ゲリラ的に、小さい集まりから変えていくのもありなのでは。
「社会を変えよう」は、大きすぎるけど、自分の周りのコミュニティを少し心地よくするのなら、なんとかできるのではないでしょうか。
そうした「実験」が繋がったり広がっていけば、「社会」も変わっていくでしょう。
例えば「子ども食堂」の取り組みなんかがそうではないでしょうか。
こちらは大いに期待できる「ゲリラ」であると言えそうです。