「続けられない」「習慣化できない」を何とかしない
こんにちは。
てらぴーだよ。
自転車からこけそうになる夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
歳とって、バランス感覚が消え失せたのでしょうか、自転車に乗っていて、何かの拍子に転びそうになります。
そのたびに、歯を食いしばる俺。
あなたは1日の内に、何回歯を食いしばりますか?
人はおそらく、いろんな場面で、いろんな原因で、歯を食いしばる生き物なのかもしれません。
まあ、中には、「食いしばれる歯があるうちが花じゃよ」という方もいらっしゃることでしょう。
感情も老化するそうですから、自分に常に「感動」を与えましょう。
とは言え、そうそう感動が転がっているはずもなく、やはりここは自分で探すとか、感動のレベルと言いますかしきい値を下げなくてはなりますまい。
きわめておおざっぱで即物的なたとえで申しますと、「5億円もらえるなら感動もするけど、それ未満では心は動かない」という態度を改めるのです。
つまり、些細なことにも感動してみる。
「今日も晩ご飯が食べられた!なんてついているんだ俺は。」
とか、「このお味噌汁はなんておいしいんだ!こんなにおいしいのは初めてだ、ありがとう永谷園!」とか喜んでみる。
すると、ものの数分で反動が来て、「無」になるかもしれません。
これにはこれで、体質とか性格が絡んでくるのでしょう。
以前「ありがとう日記」をつけたことがあるのですが、数日すると気力が抜けたようになりました。
向き不向きがあると思います。
それとも始めたときの状況がよくなかったのか。
「ありがとう」とか感謝とか、し出すときりがないですよね。
あまりに自分の感情を増幅すると、プラスがマイナスに転じるように、その変化も大きくなるのかもしれません。
プラスの方向に大きく動くと、同じだけマイナスにも揺れる、そんなプラスマイナスゼロの仕掛けがあるのでしょうか。
それとも「途中」でやめたことがよくなかったのか。
途中ではあるものの、何らかの成果とか効果を感じたかった。
そういう、中間地点でのご褒美がないと、このままでいいのか不安にもなります。
ご褒美欲しさにやっているわけではないにせよ。
そんなわけで、結局のところ、自分の中に「中途半端でやめた」事実がまた一つ積み重なっただけでした。
まあでも、感謝や感動はいいことではありますゆえ、毎日の日課としなくても、気が向いたときに書くとか、敷居を下げてみましょうか。
「脱力」もまた、時代のキーワードだと思いますから。