「戦後」はいつ始まった

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

終戦記念日の夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

「いいくに(1192)つくろう」で覚えたはずの鎌倉時代の始まりは、「いいくに(1192)」ではなかったように、「戦後」がいつから始まるのかも、再検討されているようです。

 

国際法では、「降伏文書」への署名をもって戦争の終結とするらしく、それに従えば、ミズーリ号での調印をもって、日本の、当時は大日本帝国でしょうけど、降伏が認められたということらしいです。

 

それだと、9月2日。

 

鎌倉幕府は1192から始まったのではなかったように、日本の戦後も8月15日からではなく、9月2日からとなるかもしれません。

 

それでも、昭和天皇玉音放送がラジオで流れた8月15日は、特別な意味合いを帯びているのでしょう。

 

まだまだ8月15日を巡る考察は続けられるものと思われます。

 

歴史研究の進展を考えたときに、僕が残念に思うのは、あの時代を生きた方々の多くが、今ではもう鬼籍に入られている、という事実でしょうか。

 

特に、あの時代に関して、何も記録を残さないで逝ってしまわれた人々には、後世のために、何か残してほしかったと思わずにはいられません。

 

歴史上の大事件ではなく、ごく普通の暮らしを送っていた人々が、何を思い何を考え、どのように生きていたのか。

 

近現代の歴史の再構成の手法に、ジャーナリストが行うような「聞き書き」、すなわちオーラルヒストリーというものがあります。

 

当事者やその時代を生きていた人々に直接取材をして、記録を残し、当時の時代、社会を再構成しようという取り組みです。

 

けれども、ほとんどの方々が、特に戦場を体験した方ともなると、90歳を超える高齢者ばかり。

 

もっといろんな角度から、様々な立場の人から見た、その当時の社会の在り様を広く深く掘り下げる必要があるでしょう。

 

研究の進展で、戦争に至る筋道はかなり解明されてきているとはいえ、終戦時に焼却や破棄された資料も多いと聞きますから、実際に生きた人の証言をもっと聞いてみたい。

 

よく言われることですが、ヒトラーは、国民の声を押しつぶして、強権的に戦争へと進んだのではない。

 

世論を巧みに誘導し、圧倒的な支持を得て、政権運営にあたったのです。

 

当時のフィルムを見ると、老若男女が、時に涙を流し、時に体中で感動しながら、ヒトラーの演説を聞いているというよりは感じているのがよく分かります。

 

日本も、軍部、特に関東軍の暴走もあったでしょうけれど、国民の支持も熱狂もあったのです。

 

けれどもそういったことは、近年の研究の成果であって、少し前までは、「軍部の暴走」「陸軍と海軍の反目」などといったところに、戦争へと進んだ原因を求めていたのです。

 

歴史の研究においては、「これまでそうだったからそうだったのではないか」といった根拠のない思い込みが、時に通説となって国民の常識として流布していることが多々あります。

 

「果たしてそうだったのか」と再検討してみると、違った歴史像が現れることもよくある話です。

 

これまで広く信じられてきた「通説」を問い直し、再構成するのが、歴史学なのでしょう。

 

歴史は常に書き換えられるのです。

 

もし、何もしゃべらずに亡くなっていった方々が、何かしらの「証言」を残していったのなら、戦前戦中戦後の歴史像も、違った表情を見せていたかもしれません。

 

でもそれはもう求めても詮無いこと。

 

せめては残された史料から、新しい歴史像が生まれんことを。

 

コロナ禍の時代に、「戦争」や「敗戦」「戦後復興」は、どのような意味を帯びて私たちの前に立ち現れるのでしょうか。

 

個人的には、「高度経済成長」を問い直ししてみたい。

 

それなら、まだまだ「証人」はたくさんいますから。