自分がたどった後は「必然」、ならば道を踏み外そう

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

雨に打たれた夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

お昼ごろの、わずかな時間の雨。

 

その雨に時間にぴったり、自転車をこいでいた私。

 

まるで、申し合わせたかのようなバッドタイミング。

 

濡れる濡れる。

 

そして帰宅するころは小降りに。

 

雨を吸収するために外出したのか。

 

そんなのスケジュールにもないよね。

 

でもその時間、外に出て自転車をこいでいるというのは、運命のように、もう何年も前から決まっていたのでしょう。

 

今日のその時間帯に、外に出なければいけない用事があった。

 

それはなぜかと言えば、友人と約束してたから。

 

なぜそういう約束を交わしたかと言えば、お互いのスケジュールを照らし合わせて決めたから。

 

なぜ今日になったのかと言えば、お互いのスケジュールの空きが今日だったから。

 

なぜ今日だったのか、と言えば・・・・・・・。

 

と、さかのぼっていくと、そこに「必然」が見えてくるでしょう、導きの糸のように。

 

なので、あの日ああしていればとか、あの日ああしなかったら、というのは実は考えても仕方のないことに思えてきます。

 

今日の雨も、30分の時間差で濡れずに済んだ可能性はある。

 

でも、だからと言って、「30分早く出る」とか「30分遅れて出る」という選択はなかった。

 

それを変えようと思ったら、「家を出る時間」だけでなく、それにつながるすべての時間をずらしていかなければならない。

 

そして、そんなことは不可能でしょう。

 

自由に、好き勝手にふるまっているように見えて、実は後で自分の足跡をたどりなおすと、そうするしかなかった軌跡が見えてきます。

 

過去の可能性について、ああもできたこうもできた、これを避ければよかった、とあれこれ考えても、それは、もうそれらを経験済みの高みから、無責任に思っているに過ぎないのです。

 

その時は、選択肢はひとつしかなかった。

 

それが人生の真実なのかもしれません。

 

そして多分、違った選択をしたとしても、今とあまり変わらない境遇にいるのではないですか。

 

何しろ自分がプレイヤーなのですから。

 

同じことを、あるいは似たようなことを選ぶに決まっています。

 

なので、人生を変えたかったら、思い切って自分が選ばないことをしてみる、死なない範囲で。

 

たまには、ふだんの自分チョイスから外れてみる。

 

先日ワタクシ、セブンイレブンにて、アイスを買い求めたのですが、いつもなら150円程度のモナカあたりにするところを、ちょっとお高い、250円だったかと思いますが、「金の小豆モナカ」にしてみました。(税込み278円)

 

まあ、そのように、こんなことも俺はできるんだぞと、自分に見せつけるのです。

 

例が少額ですいません。

 

いつも同じ通り道を通っているのに、「ハプニング」を期待しちゃだめですよ。

 

「ハプニング」は思い切った行動につられてやってくるのです。

 

たまには、羽目は外さなくても、思い切った行動で、まずは自分をびっくりさせてみましょう。

 

だからと言って、「醤油一気飲み」とか危険なもの、後で悔むのが明らかなおバカなものは良い子はしないように。

 

たまには道を外して、「おお、こんなことも俺はできるのだ」と新鮮な感動にひたりましょう。

 

僕も、セブンの『金の粒あんモナカ』をほおばりながら、「買っちゃったよ、俺」と自分にしかわからない優越感に浸っておりました。

 

一日一善ならぬ「一日ひとはずし」を。