脳内、いろんなことが浮かんでいて、騒がしくないですか?
こんにちは。
てらぴーだよ。
赤トンボを見かけた夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
何かものごとを考えているようで、その実何も考えていないのだ、ということらしいです、私たちの思考というのは。
では何が起こっているのかと言えば、ただひたすらに「反応」しているだけ。
しかもその反応ときたら、秒の速さで脳内に起こり、しかも、鉄道の複線化どころではない複複複・・・・化でもって、つまり同時並行的に様々なことが頭の中を走っているのです。
これが本当に鉄道で新幹線だったとしたら、相当にややこしい。
常に複数の思考やら感情やらアーカイブズが、脳内に沸き起こっているのです。
しかも、最初に述べたように、自動で起こる反応なので、スイッチを切るとか、ある回路だけを黙らせるとかはできない。
つまり私たちの脳内は、いつも騒がしい。
その騒々しさが、精神の健康状態を左右しているのでしょう。
そこで、精神を混乱させないために、脳を鎮める必要が出てくるのです。
その一つが今流行りの「瞑想」。
頭の中に何が浮かぼうともただの反応だと思ってやり過ごせば、静かに消えていくでしょう。
もちろんすぐに、もう、間髪を入れずに、新たな妄想や過去のイメージや、周りの環境に対する反応が沸き起こるでしょう。
あの時あの人は何であんなことを言ったんだろう、頭にくる、小学生の夏休みにこんなことがあった、昨日の危ない車のやつ、スピードの出しすぎだよな、セミが鳴いているけど夏も終わりか、それでもまだ暑い、・・・・・。
本当にとめどなく、脳のおしゃべりの波状攻撃は続くのです。
もちろんそのいちいちに付き合ってはいられませんが、そのうちのいくつかは浮かんだと同時に話が発展して、ストーリーをもって頭の中を反響していくかもしれません。
それが、ハッピーな話ならいいのでしょうけど、頭にくる話だったり、いやな思い出だったり、悲しい記憶だったりすると、何度もリフレインされるだけでなく、話が膨らんだり、頭に浮かびやすくなるかもしれません。
そして、浮かぶたびに、不愉快な気分も再生産されるので、精神衛生上いいことなんて何もないのです。
それでも湧き上がることを、なかなか押しとどめることができない。
そこで、波立った心を鎮めるために、静かな環境で座ることになるのです。
半ば、強制的に、走り回っている脳内の暴走を鎮めようという試みであると言えましょうか。
それでは、禅寺のような、落ち着いた環境がない人はどうしたらいいのか。
リビングのテーブルか机の上を少し片付けると、ノートを広げられるスペースが生まれるでしょう。
スペース、すなわち「宇宙」、そこにノートかメモ帳、あるいはコピー用紙でも広げれば、簡易な「禅寺」が出現すると信じてください。
もちろん家族がいない時、テレビも消して。
スマホも遠ざけて。
イスに深めに腰かけて、同じ姿勢で静かにしてましょう。
つまり、動かないで。
すると、意識が脳内の「運動会」に向かいますから、自分が普段どんなことを脳内に走らせていたのか、その一端がうかがえると思います。
考えようともしなくても、次から次に浮かぶ反応をまずは感じてみましょう。
その時に気をつけることは、浮かんでくることを追いかけないこと。
ある出来事が思い出されて「そうそうそんなことがあった、あの時は・・・・・」と引き継がないでただただ観察してみましょう。
すると、そのうち消えますから。
あるいは、気になっていたことを「考え始める」かもしれませんが、それも「反応」なので、スルーしましょう。
こうして鎮めていけば、脳内の混乱も落ち着いてくると思います。
落ち着いたなと思ったら、ノートなどに、それでも気になること、浮かんでくることを書き取ってみてはいかがでしょう。
書き取る、というのは、もつれた糸をほぐして1本の糸に整えるように、混線を正すことです。
それぞれを1本の糸にしてみたら、それぞれは短い糸だった、つまり底の浅い思考や感情だったと知れるでしょう。
脳内のおしゃべりにも、交通整理が必要なのです。