僕の「死ぬまでにやりたいことリスト」の最初の数ページ
こんにちは。
てらぴーだよ。
あちこちが内出血な夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
昨日自転車で転んで打ち付けたところがことごとく内出血。
年寄りだから、青あざが消えるのも時間がかかります。
ことほどさように、何かを成し遂げたかったら、それ相応の時間が必要です。
バイキング料理のように、あれも食べたいこれも食べようとお皿に盛り付けているうちに、自分の胃袋の許容範囲を超えてしまうように、あれもしたいこれもライフワークかも、なんて積み上げていくうちに、寿命300年ぐらいの人生設計になってませんか?
ある程度の年齢になったら、どこまでいけるのかが見えてきたりします。
でもそれは、悲しいことではなくて、選択しろという神様のご配慮なのかもしれません。
もし不老不死が、科学の力で実現したとしたら、僕たちに人生は途端に色あせて、一人分のスープを100人分に仕立てたような、薄っぺらなものになるに違いないのです。
だって、死なないのだから。
時間はたっぷりあるでしょう。
明日漢字のテストだ。この中から10個出す、と言われれば、必死になって暗記に努めるでしょう。
これが、この10個の漢字を覚えたかテストします、テストは10年後です、なんて言われたら、差し当たって今日、覚えますか?
僕だったら遊ぶと思います。いや絶対遊ぶ。
というわけで、人生の大計画も、期限があるからやる気も実行力も意欲だって湧いて来ようというものです。
「死ぬまでにやりたいことリスト」だって、途中で止まったまま。
これは、「世界遺産をすべて回りたい」と書きたいのだけれど、現実的にそれは無理、というところで宙ぶらりんになっているから。
やはりここで、「死ぬまでリスト」を再考せねばなりますまい。
現実を見つめすぎると夢もしぼみがちになるので、現実の斜め上あたりを見つめましょうか。
でも、ところどころには、現実を忘れた願望も潜ませましょう。
人生どこで何がどうなるのか分かりませんから、たまにくるメールで、「あなたに5億2千万円を差し上げたいのです」なんてのがありますけど、それが本物だったらかなえられるようなことも(念のため)書いておきましょう。
そして、自分のこれまでとこれからをつないだ時に見えてくる「これかな、これがライフワークかな」をはっきりさせながら、進むと楽しいだろうなという進路を思い描きましょう。
その時あなたは、どんなあなたでいるでしょうか。
僕の、『死ぬまでにやりたいことリスト』の最初の数ページは、どんな自分になりたいかを書くようにとってあります。
願望は、be(なりたい)、have(持ちたい)、do(したい)で書くだと教わったのです。
そのbeを最初に持ってきたというわけです。
「こんな自分になりたい」というのは、自己否定になる、という指摘もありますが、自分が変わることで周りにもいい影響になればいいかなと思います。
「このままじゃだめだ」からの出発ではなくて「このままでもいいけど、もっとこうなったらもっと楽しくなる」と、自分の変身を思い描いてもいいのではないかと思うのです。
どうせ自分なんて、固定された「これが俺」というのがあるのではなくて、どんどん変わっていくのですから、少しでも楽しめて楽しませられる方向に変わっていったらいいのではないか。
まあ、ほっといても、「やりたいこと」がどんどん叶うようになったら、その時点で進化変身していることでしょう。
自分の変化を楽しみましょう。