金沢ロフト閉店ならぬ移転、でもまだ『ほぼ日』にさわれない日々
こんにちは。
てらぴーだよ。
すっかり涼しくなった夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
石川県は金沢の「ロフト」が、先々月の7月の10日ごろに閉店しまして。
「思ったように客足が伸びなかった」というので、契約を更新せず撤退と。
売り場面積は狭かったものの、僕のお目当ては『ほぼ日手帳』。
『ほぼ日』が手に取って見られるのなら、屋台のようなスペースでも構いません。
でも、石川県じゃあ、「ロフト」じゃないと見られない手帳もあったので、閉店撤退のショックは大きゅうございました。
と、打ちひしがれておりましたら、金沢駅の真ん前というかすぐ隣のイオンビル(正式な名称ではございません)「金沢フォーラス」に、この秋移転するとの情報が。
ふう、『ほぼ日』をおさわりできることが、首の皮1枚で繋がりました。
でも新装開店は10月ごろなのだとか。
それまで『ほぼ日』にお目にかかれないなんて。
購入するだけならば、ネットもありますが、手に取って、あれこれ見たりさわったりしたいだけなので、実物があればいいだけ、とも言えましょう。
『ほぼ日』を取り扱う実店舗を増やしてほしい。
『ほぼ日』のライバルとも言える位置関係のコクヨの『ジブン手帳』も、取り扱っているお店が少ないです。
取り扱っていても、「見本」がなかったりして、実際の中身を見たりさわったりできないことも多いです。
これもまた、都会と地方の文化的格差の故なのでしょうか。
「新しいもの」「流行りモノ」「新奇なもの」などは、都会から発生してしかる後地方へと伝搬する、といった図式が当たり前のようになったのも、そう遠くない時代ではないかと思います。
少し過去にさかのぼれば、「中央と周辺」といった図式にからめとられない文化の広がりがあったのではないか。
地方には地方の、確固たる文化や伝統や、歴史といったものが、どこが中心でどこが周縁なのかといった二分法を無意味にしてしまう磁場もまたあったのではないか。
交通の偏った発達や、中央が道筋を描いた「地方分権」、そして、教育。
そうした、複合的な原因が、幾重にも重なって、「中央と周辺」「都市と田舎」という、今日見られる文化的格差が生まれ定着したのではありますまいか。
そして、コロナ禍で加速されそうな時代の変革は、こうした文化的格差にも、及ぶでありましょう。
ものを考え、その考えを紙に己が手で記す、その営みは、AIの時代にますます見直されてくるでしょう。
「字を書く」という、なんてことのない当たり前が、もしかしたら、新しい文化として、しかも地方から、発信してくるかもしれません。
曲がり角の時代だからこそのオキテ破り。
文字を書くことにこだわった、道具か、それとも作品か、あるいは考え方なのか。
新しい手帳やノートの使い方が、「手帳2.0」のように更新されるのでしょう。
その前に『ほぼ日』にさわらなくては。