無印の手帳って、シンプルさで際立ってますよね

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

もう半袖も終わりかの夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

いつの間にかすっかり涼しくなって、窓を開けてはもう寝られません。

 

本格的に秋ですね、手帳の季節ですね。

 

近所に、「無印」の大きな独立の店舗がありまして、すぐ隣が食品スーパーなものだから、買い物がてらいつでも行けるという安心感があるせいか、実はあんまり行けてない。

 

「いつでも行ける」が、「今日行かなくてもいい」に頭の中で変換されるようです。

 

でも、今日は行ってきました。

 

お目当ては、もちろん文具コーナーです。

 

定点観測のように、一通り見て回るのですけど、まだ来年度の手帳は出てませんでした。

 

残念。

 

無印の手帳は、余計な装飾が一切なく、白黒でシンプルなところですよね。

 

土日も黒を薄めて表示してて、カラフルの真逆をいってます。

 

でも、そのほうが、手帳としてはありがたいのではないかと常々思っているのです。

 

なぜか。

 

後で自分でカスタマイズできるから。

 

これにつきます。

 

日曜や祝日を赤、土曜を青で表示している手帳が標準かなと思いますけど、時には自分で好きに塗りたくもなりますよね。

 

そうした、自分で好きにカスタマイズできる、という観点から言うと、罫線も数字なども墨1色という無印の手帳に、拍手を送りたいほどです。

 

何も書かれていない真っ白なページも困りますが、あらかじめ色があちこちに塗られている手帳も、書く時の自由度が狭められているようで、窒息しそうです。

 

もっと、自由が欲しい。(笑)

 

キャラクターものの手帳にありがちですけど、カラフルに加えて、キャラクターがちりばめられていると、その分書くスペースが侵食されているようで、「ちょっと勝手に人の手帳に入ってこないでよ」、という気分にもなろうってものです。

 

書くことが増えていけば、色を付けたいとか、イラストも添えてみるかとか、何かを貼りたいなど、カラフル化への道は、当然開けていくものです。

 

カラフルなペンもいろいろ発売されていますしね。

 

それなのに、手帳を開いたら、すでに色があちこちに塗られていたり、お気に入りとはいえ、これまたカラフルなキャラクターが筆記スペースに散らばっていたりしたら、「じゃま」とも思えてくるでしょう。

 

なので手帳に関しては、カラフルでポップでガーリーなのは避けて、ひたすらシンプルに徹した、無印の手帳のようなのがいいと思います。

 

手帳やノートは、店頭ではまだ半人前、完成品ではなくて「半製品」のようなもの。

 

後の半分は、買った人があれこれ書き込んで「完成」に至るという商品なのではありますまいか。

 

特に昨今は、手帳やノートのページをデコレーションするグッズが、文具界の、今や一大勢力となっているのですから。

 

色ペンや色鉛筆は言うに及ばず、マーカーもいろんな種類がありますし、マステやシールもあちこちに「沼」を作っている始末。

 

付箋も、「貼ってはがせる」という当初の目論見はどこへやら、ノートや手帳に関しては「貼ったまま」になっているものと推察されます。

 

そのほか、カリグラフィが書けるペンがダイソーで手に入るとか、カラーの筆ペンもいくつも出ています。

 

手帳に添えるイラストの、描き方を指南した書籍も、何冊も出ている状態。

 

これだけ「書く」「描く」社会になっているのですから、その紙面というか「キャンバス」は、無地の白がいいに決まっているではないですか。

 

手帳だけは日付など、最低限の数字や線がないと困りますけど、まっさらの無地でも、バレットジャーナルに仕立てるという手もあります。

 

ともあれ、無印(ムジ)の無地ならずとも、手帳はできるだけ、シンプルなのがいいと思います。