休日は24時間ではないけど、リモコンは手放すな

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

いるだけで汗ばむ夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

1日お休みだ、と思っても、すべての時間が自分の自由になるわけではありません。

 

よく「24時間は平等に与えられている」という文言を、ビジネス書などで見かけますが、個人差、というものを無視してませんか、と言いたい気分です。

 

その、24時間から、月々のお給料から税金や保険料が無慈悲に引かれるように、「睡眠時間」というものを引かなくてはなりません。

 

そして、睡眠時間というものは、実に個人差があるものです。

 

信じられない事実ではありますが、2時間程度の睡眠で大丈夫な「ショートスリーパー」という方々がいらっしゃいます。

 

どんな仕組みなのかはわかりませんが、どうも寝ないでも健康その他に支障はないようです。

 

でも、だからと言って、そういう人たちから、

 

「寝ないでも大丈夫、あなたもできますよ」

 

とは言われたくないです。

 

逆に、有名人でも、1日に10時間ほど寝ないと調子が出ない、とおっしゃる方々もいらっしゃいます。

 

実に心強い。

 

でもそこまで寝ると、僕の場合は、逆に寝疲れしちゃいます。

 

はっきりと決めているわけではないし、その時間通りに寝られるそして起きられるわけではないものの、6時間から8時間といったところでしょうか。

 

この、極めて個人差のある「睡眠時間」を、まずは24時間から間引いて考えるべきでしょう。

 

ほうら、「平等」じゃなくなった。

 

24時間は平等だ、なんて考えずに、自分が使える時間をはっきり把握したほうがいい。

 

もし休日に、いわゆる平日の睡眠不足の繰り越し積み重なりである「睡眠負債」を返さないといけないのなら、休日に行うあれこれを平日にスライドさせて考える必要がありますから。

 

ともあれ、まずは「睡眠時間」を引いて、残りの時間で、掃除や洗濯などの、ハウスキーピング的なことをしないといけないでしょう。

 

それから、日々の生活のために様々な物資をば「補給」しなければなりません。

 

この、必要物資の調達流通が滞ったからこそ、日本軍は各地で苦戦を強いられ、戦死者よりも餓死者などを生み出したのですから。

 

ロジスティクス、大事。

 

これらを平日に行えれば、休日が休養日に近づきますけど、なかなかに難しいものもあるのではないでしょうか。

 

そうして、あれを引きこれを考慮して、残った時間が、自分の本当に自由になる時間というわけです。

 

それが、どんなに短くても、いやそれだからこそ、その時間を無駄にはしたくない。

 

とは言いながら、休日の夕方って、朝の時間の隣にいたりしませんか?

 

それともどこかで、タイムスリップのボタンを押しちゃったのかな。

 

こうした傾向が、1年を通じて繰り返されると、10年なんてのもあっという間。

 

休日の夕方よろしく、人生の夕方、黄昏が、隣に立つことになってます。

 

かつて、日本陸軍が開発したという設定の「鉄人28号

 

実は正義の味方でもなんでもないのです。

 

その証拠に、鉄人を動かしている「リモコン」を悪者が操作すると、たちまちのうちに「悪の手先」になってしまうのですから。

 

主題歌でも歌われています。

 

「敵に渡すな 大事なリモコン」

 

テレビのアニメ(白黒)を見るたびに、リモコンが奪われるのではと冷や冷やしたものでした。

 

ひるがえって、あなたを動かしている「リモコン」、ちゃんとあなたの手元にありますか?

 

「ポスト・イット」「付箋」の生みの親スペンサー・シルバーさんが亡くなる

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

少し自転車をこぐと汗ばむ夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

訃報です。

 

ポスト・イット」の開発者である、アメリカの3Mの元科学者、スペンサー・シルバーさんが、5月8日にお亡くなりになったそうです。

 

享年80歳。

 

強い接着剤を開発中に、完全に接着はしなくて、後できれいにはがせる「中途半端な」接着剤を開発、何に使おうか、何年も思案していたそうです。

 

同僚のアーサー・フライ氏が、礼拝する時に、賛美歌集に挟んでおくしおりが落ちるのを何とかしたいと、その「接着剤」を利用することを思いつきます。

 

そして二人で研究を進め、のり付きのしおりを「ポスト・イット」という商品名で発売したとのことです。

 

ポスト・イット」は、ですから日本では、住友3Mの商品名です。

 

「セロテープ」が、ニチバンの商品名みたいなものです。

 

今では、「ポスト・イット」というより「ふせん」「付箋」の方が広く認知されているのではないかと思います。

 

日本での発売は、1980年ごろになるのでしょうか。

 

僕は、池袋のデパート、西武で初めて見たように覚えてます。

 

3種類しかありませんでした。

 

色も黄色だけ。

 

正方形のが250円。

 

長方形の大きいのが300円。

 

小さいのは、なぜか12個がパッケージになっていて、何と1900円もしたのです。

 

しばらくすると、お店の方でばら売りしていたところもありました。

 

確か一個130円ぐらいだったかな。

 

日本初上陸だったこともあって、チラシというかリーフレットには、正方形のが見本として5枚くらいくっついていました。

 

そうです。

 

最初は、今ではよく見る「付箋」の、あの細長いタイプのは、なかったのです。

 

日本でも、水糊を端っこに塗って、なめて使う「付箋紙」というのがあったのです。

 

書類などで注記をしたい時に、メモ書きして、ちょいとなめたりして湿らせて、貼り付けることができました。

 

その「付箋紙」が、細長い形状で、端が赤く塗られていたのです。

 

やがて、「ポスト・イット」にも、その細長い形状のが発売になり、色も黄色に加えて、白に端だけが帯のように赤いのも、商品化されたのです。

 

そのあたりから、広く普及することになったと思いますが、まだまだ一般的な文房具ではなかったと思います。

 

それが40年経って、おそらくどのオフィス、どの事業所にもあり、また、小学生から大学生、社会人、お年寄りに至るまで、ほとんどすべての場所、人のいるところに広がっているのではないでしょうか。

 

形状もいろいろですし、色だって多彩です。

 

使い方にもさまざまなバリエーションがあるのでしょう。

 

その使い方を詳細に解説した書籍も、何冊も出ています。

 

経済評論家(?)の西村晃さんは、「ポスト・イット」の魔術師と呼ばれでいたそうです。

 

手帳評論家の立神竜彦さんは「付箋王子」

 

付箋に書いたものをノートに張り付ける「ふせんノート術」もあれば、

 

小さい付箋にやることを書き出して、時間をやりくりする「あな吉さんの手帳術」もあります。

 

付箋に関しては、一家言持っている人が多い、と言えましょう。

 

学習の場だけでなく、仕事から自宅まで、ありとあらゆるシーンに「付箋」は欠かせません。

 

その付箋は、しかし、当初は使い道が分からない発明品だったのです。

 

「何の役に立つのか、研究している時点では分からない、でも、世界を変えうる基礎研究」は、確かにあるのです。

 

スペンサー・シルバー氏のご冥福をお祈りいたします。

 

スヌーピーのメモ帳を集めていたけどやめてしまった話

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

暖かさを通り越して暑いくらいの夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

久しぶりに、ダイソーとセリアに行き、さらに、金沢を代表する雑貨屋「アミング」やうつのみや書店工大前に行ってきました。

 

春は、文房具を新しくする季節。

 

もう初夏ですけど。

 

特に、新しいノートやメモ帳が出ているわけではないのに、見るたびに、欲しくなります、あれらの紙のカタマリが。

 

昨年から特に「独学」がブームになっているせいでしょうか、お勉強ブームに呼応して、ノートやメモ帳に心惹かれてます。

 

中には、お勉強はさておき、ノートのコレクションを増やしている方もおいででしょう。

 

時代の趨勢は、A5のノートへと、移行しているみたいです。

 

B5の、いわゆる「大学ノート」では、新作は出にくくても、A5のサイズになると、ファンシーな、あるいはキャラクターな、さらにはガーリーなノートが、100均でも雑貨屋でも売り場を広げています。

 

実は長年、スヌーピーの、というか『ピーナッツ』のファンでして、コミックスもそうですが、キャラクターグッズも、文具限定で買っておりました。

 

文具ならば、スヌーピーや『ピーナッツ』のキャラクターがついてても、実用品でもあるので、その実用のために、例えばスヌーピーのハサミなら、紙を切るという目的のためにこれを購入してます、という大義名分がまかり通るではないですか。

 

さすがに、特に実用でもないのに、使うこともないのに、スヌーピーのキャラクターがついているというただそれだけの意味での購入は、控えておりました。

 

けれどもある時、今から数年前でしょうか、スヌーピーの手のひらサイズのメモ帳が、なぜか値段的に2種類のが、定期的にデザインを変えて、サンスター文具から発売されているのを見つけたのです。

 

手のひらサイズで、でも中味が若干異なり、二種類の値段設定、確か100円と200円ぐらいの値段差で、お行儀良く、おそらく、売れている売れていないにかかわらず、店頭に並ぶのです。

 

モデルチェンジは3種類ほど。

 

したがって、時間が経つと、新しいデザインのが、それぞれの値段帯で大体3種類づつ「新発売」になるといった塩梅です。

 

それを、財力に物を言わせて、ある時期から、すべてのデザインを1冊づつコレクションすることにいたしました。

 

観察していると、新しいのが並ぶ時期が、雑貨屋、文具屋で、微妙に異なります。

 

また、品ぞろえも異なり、あるお店に置いてあったメモ帳が、別のお店には無かった、ということも普通に起こります。

 

しかし、いくらスヌーピー好きとはいえ、そんなにスヌーピーのメモ帳にメモすることなんてありません。

 

というか、ほぼない。

 

結果として、使わないスヌーピーのメモ帳が増え続ける。

 

段ボール箱いっぱいになり、それが二つになり、というあたりで、少し気が抜けました。

 

欲しいのは欲しい、特にメモの中身が方眼だったりすると。

 

でも、使わない。

 

この葛藤で、収集癖が宙ぶらりんになって、今は休止してます、購入を。

 

いいデザインのを見ると、欲しくはなりますが。

 

ほとんど全く使わないのに、買うばかりというのも、意外なストレスでした。

 

やっぱりメモ帳やノートは、ガンガン書いてこそのものでしょう。

 

でもああいうものは、再販など絶対しないでしょうし、買い逃すと、2度と会えません。

 

何か折り合いをつける、いい知恵はないものでしょうか?

 

メモを片手に、時代を探してみましょう

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

暖かい夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

コロナが猛威を振るっている石川県では、ずいぶんピリピリした空気です。

 

時折り、街を行く人のマスク姿を眺めながら、

 

「一体いつまで続くのだろう」とか、

 

「ずいぶん世の中も変わってしまった」といった感慨に浸ったりします。

 

けれども変化は、まだまだこれからも続くのでしょう。

 

せめてはこの、先行き不透明な時代の、ある部分における証言者として、メモをせっせと残しましょうか。

 

その時代が、どんな時代だったのか、あなたなら何を、またはどこを見ますか?

 

同じ時代を語るにも、人それぞれで、目の付け所は異なるでしょう。

 

小学生の、社会科見学のように、メモ帳を片手に、街中を自由に歩き回って、何かしらの、時代を表しているもの、またはことがらを収集するとしたら、どこに行きますか、何を見たいですか?

 

そこに、その人の個性とか、考え方、世界観といったものが現れてくるのでしょう。

 

実際の「モノ」を集めると、かさばったりして大変なので、写真やメモで切り取ることにいたしましょう。

 

今なら、交差点で人々が信号を待っているところなど、全員がマスクをしている情景が、時代を表していると思います。

 

けれどもそれ以外に、人それぞれで、「これが令和という時代だ」という記号があるに違いありません。

 

どれだけ街中の風景の変化に敏感になれるか。

 

そんな練習問題を抱えて、散歩してみるのも、頭の体操になるでしょう。

 

何かしら引っかかることがあれば、すぐにメモ。

 

それだけではただのメモですが、積み重なると、時代を切り取るノウハウへと、変貌するかもしれません。

 

自分はどんな時代に生きているのか、それが、人と同じだったら面白くない。

 

自分なりの時代のとらえ方は、日々のメモ習慣から育まれていくのです。

 

いきなり時代の相が分かるわけもなく、だからと言って、誰かの言い方を真似しても、心からそうだとは思えないでしょう。

 

歴史の本にこう書いてあるからこうだったんだ、と言って、他人の見方を丸暗記しても、知識にはなりますが、知性にはならないでしょう。

 

答えのない時代に、求められているのは、他人の正解ではなく、自分なりの解釈または誤答ではないでしょうか。

 

たとえ誤答であろうとも、目の付け所がどうであるかで、説得力もまた、違ってくるでしょう。

 

今が大変な時代ではあるものの、変化を内に込めているのなら、それは次の時代を準備している希望の時代でもあるのだ、とも捉えられるかもしれません。

 

ありきたりの見方に陥らずに、自分はどこを楽しめるのか、探し回ってもいいのではないでしょうか。

 

自分をほめる「ほめ日記」があるのなら、おもしろい時代になりそうだという「未来楽しみ日記」があってもいい。

 

そうした、おもしろいものの芽を見つけるためにも、メモを片手に見つけませんか。

 

見つけると言っても、いったいどこで?

 

それもまた、自分で見つけるのです。

 

密を避けた外出も、また、頭の体操となるでしょう。

 

最近全力で、字を書きましたか?

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

新緑狩りに行きたい夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

目に緑を入れると、気分も落ち着いて、精神衛生上いいらしいです。

 

公園にでも行って、緑に包まれたい。

 

ところで、日本語の「みどり」という言葉は、色の名前ではないそうです。

 

赤ん坊のことを「みどり児(ご)」というように、「命にあふれている」というのが本来の意味なのだとか。

 

でも、少し考えると、「命にあふれている」のは、何も赤ん坊だけではないでしょう。

 

じじいにも、じじいなりの命というものがあるはずです。

 

だって、こうして生きてますから。

 

でも確かに、生きてはいるものの、その命が「あふれている」かどうかになると、心もとないものがあります。

 

生きてはいるものの、もう尽きようとしているからでしょうか?

 

そんなことはない。

 

「元気があれば何でもできる」と、あの方も、入院しながらおっしゃってました。

 

自分で自分の手で文字が書ければ、まだまだ命は尽きません。

 

と考えて、果たして「命あふれる」文字をどれくらい書いてきたのか、疑問に思えてきました。

 

ToDoは書いてます。

 

スケジュールも、その結果としての日記も、書いてきてはいる。

 

でもその内容は、「業務連絡」的なことばかり。

 

自分の命が乗り移ったような、あるいは、気力にあふれた文字を、どれだけ書いているのか。

 

確かにToDoを、例えばその買い物リストを、全身全霊で書くことは、ない。

 

ほとんど走り書きで済ませている。

 

メモ用紙に書くのなら、なおさらチャラ書きである。

 

気合いのこもった文字を、文章をいつ書いただろう。

 

事務的な、自分あてであっても事務的な言葉の羅列に慣れ親しみすぎて、言葉に込めるはずの気力とか魂は、最近とんと使わずじまい、になっていたのではないかと、反省してみる。

 

手紙でもいい、自分にあてた宣言でもいい、1語1語に気持ちを込めました、と言える文字、文章を書いていないのではないか。

 

一画一画おろそかにせず書きましたと、胸を張れるか。

 

最近ない。

 

書いていた時期も、確かにあったように思います。

 

いつの間に、安楽な文字書きに、慣れてしまったのでしょうか。

 

文字を書くことに、感動しなくなったから?

 

ではなくて、感動するような本を読んでいないとか、感動体験から遠ざかってしまっているとか。

 

どこかで生活というものが、安易に流されていたのかもしれません。

 

感動するために何かをすると言うのも、本末転倒かなとは思うものの、気がついたら、生活の中から、感動体験が抜けてました。

 

これでは命も、輝きますまい。

 

いつも通りの日記に満足しないで、思わず握っている手に力の入る感動を書き記そう。

 

どんな力の入れ具合で文字を書いているのか、時に意識してみたほうが、いいみたいです。

 

昨日のお詫びと、1日の展開図について

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

暖かいお昼の時間に、手帳の時間です。

 

昨晩、あと少しでブログを書き終えるという時に、ワープロが壊れてしまい、文字入力ができなくなりました。

 

それで、お終いに書いてたタイトルも打てず、何やら中途半端。

 

まさに昨日のテーマ、「こんなはずじゃなかった」そのままではないですか。

 

その後、とりあえずブログをアップして、パソコンを再起動したりもしてみたのですが、「記事を書く」をクリックすると、今しがた書いたばかりのブログの本文が、そのまま表示されるばかり。

 

これいったん全部消さないといけないの?と半ば絶望半ばどうでもよくなり、その日は寝ちゃいましたとさ。

 

で、今日、お昼に近い時間にパソコンにさわれたので、ブログの「記事を書く」を出してみたところ、いつも通り、異常なしです。

 

昨夜のあれは、なんだったのだろう?(遠い目)

 

パソコンの動きがおかしくなっても、何をどうしたらいいのかが皆目わからない、というところが、何ともやるせない。

 

ストレスが積み重なり、今朝はお目覚めもよろしくなく(寝る前にチョコ貪り食ったから?)、いつもより、怒りぽかった午前中でしたがな。

 

A4サイズの、無地のリングノートを、マインドマップなどを書くのに使っています。(唐突)

 

スケッチブックでもいいのですが、さすがにちょっともったいない。

 

A4サイズに近いクロッキー帳を、メモ帳みたいに使っている人を2名ばかり見ました。

 

手のひらサイズのメモ帳もいいですけど、大きめのノートといった風情のスケッチブックやクロッキー帳、要は無地のノートを、何でも書くノートとして使うのも、全然アリですよね。

 

もちろん、コピー用紙を、アイデア出しに使っている方も多いと思いますが、元は1枚1枚の紙なので、クリアファイルに入れるとかしないと、もともとばらけているので、管理が大変です。

 

テーマごとに分類するという時には、長所になりますけど。

 

その点、リングノートのようにまとめられていれば、時系列でどんどん使えます。

 

これまでは、考えていることを図解したり、読んでる本のまとめに使ったりしてましたけど、1日の行動や思考、感情の動きなどをまとめるのにも使えそうだとつい先ほど気づきました。

 

1日1枚。

 

書き方は自由。

 

どこからでも書き始めてオッケー。

 

とにかく、1日の行動の流れ、それから考えたこと、それらに伴う感情を、A4ヨコのサイズ感にまとめていったら、どんな「絵」が出来上がるのだろうかと。

 

その日1日の、図解日記ですね。

 

空白にも意味がありそうなので、何も書けない部分があっても気にすることはないでしょう。

 

どこから、どんなふうに書き始めてもいいのだから、まさに、絵をかくように、その日1日を俯瞰できるかもしれません。

 

試しに今日からかいてみます。ではまた。

 

 

今日は、ワープロ(パソコン)のご機嫌がいいらしい。

 

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

こんなはずじゃあなかった夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

こんなに寒くなるとは!

 

防寒グッズ復活の夜になりました。

 

こんなはずじゃなかった、もういらないと思ってたのに。

 

「こんなはずじゃなかった」は、とても悲しい決まり文句。

 

こうなるはず、こうしようと努力を重ねてきたのに、そうはならなかった時、人は、

 

「こんなはずじゃあなかった!」と雄たけびをあげるのでしょう。

 

努力のベクトルが、特にその方向が、違っていたのです。

 

でも、世の中そうそう思い通りにはいきません。

 

「こんなはずじゃあなかった」事態になったのなら、「そんなはずだった」を楽しんでみてはいかがでしょう。

 

どんなに悔んだところで、事態が改善することはなく、思い通りの方向に進むこともなく、どう頑張ってみても、「こんなはずじゃあなかった」なのですから、これはもうそのことを楽しむ以外にないでしょう。

 

こうしたことも、思考実験の修行だと受け入れ、さて、どんな風に捉え方を変えようか思案してみることにいたしましょう。

 

頭の中だけで、言葉やら概念やらを動かしていると、時として、ぐるぐる現在地、となることも体験済みなので、やはりノートに書き出すのがいいでしょう。

 

浮かんでくる言葉、何がどうなっているのかの概念図、そんなものを広めの、できれば無地のノートに書きつけていくのです。

 

特に大事な、キーワードとなりそうな言葉には、ぐるぐると囲みをつけましょう。

 

そしてその周りに、関連する言葉や現状を表す言葉を書き加えるのです。

 

こうして、「こんなはずじゃなかった」現状が、紙に言葉として写し取られたと思いましょう。

 

まだ書けるはず、というのなら、書き尽くすまで言葉を吐き出せばいい。

 

自分にしかわからないような、相関図が出来上がるころは、気分も幾分か落ち着いていることと思います。

 

そして、「こんなはずじゃなかった」事態のほころびさえもが、見えてくるかもしれません。

 

自分史上最低の事態だと思っていたのに、書き広げてみると、案外そうでもない。

 

ここは何とかなりそうだとか、ここはこれでよかったのではとか、すべてがマイナスだと思っていたけれども、プラスもそこかしこにありそうだと思えてくる。

 

徹頭徹尾「こんなはずじゃなかった」ということでもない。

 

そうして、こうなってしまったからには、ここを出発点にするしかないのだと、新たな覚悟も、生まれてこようというものです。