心に浮かぶよしなしごとは、ノートに書き止めるのがよろし

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

お昼と寒暖差の激しい夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

先ほど、お風呂上りにバスタオル1枚体にまとってベランダに出てみたら、

 

さ、寒い。

 

あっという間に汗もひきました。

 

日中はじりじりと、焼けるくらい日差しも強かったのに。

 

季節と同じように、私たちの体も何もかも、絶えず変化をしていて、一時も休むことがありません。

 

そのことを仏教では、諸行無常と言い表すのですね。

 

「無常」を「無情」と勘違いして、はかなさを感じたりしないように。

 

ただただ万物は常ならず、姿かたちを変えているというのです。

 

固定された同じものがあるのではなく、川のように流れている。

 

流れてはいるものの、次々に異なったものになるのかと言えばそうではなく、自己同一性がある。

 

あなたの体や記憶、感情は常に動いていてまったく同じではない。

 

にもかかわらず、あなたであるという自覚は存在する。

 

体のあちこちの細胞は休むことなく入れ替わっていくけれど、僕はいつもてらぴーだよ。

 

昨日は田中某で、さっきから佐藤某になった、なんてことはない。

 

絶対矛盾的自己同一って、このことを言うのじゃないかしら。

 

ただ、昔に書いたメモなどを、時折り読み返したりすると、ほんとに俺が書いたのか、と思えることもあるので、案外中身も入れ替わっているのかもしれません。

 

その時々に感じたこと、考えたことを詳細に書き止めておくと、自分の内面史の進化発展はもとより、退化、さらには同じところをぐるぐるしている状況など分かって、特に冬場は赤面どころか怪しい汗までかけるので、瞬間の暖房に効果ありです。

 

冗談はさておくとしても、単なるメモ書きではなく、長めの文章で、その時々の自分の思考のあれこれを書き残しておくことは大切だと思います。

 

読んだ本の簡単な感想を書いている人は多いと思いますが、それを日常全般に広げるのです。

 

自分が関心を持つ分野について最近考えたこと、ニュースを見て考えたこと、世の中で議論されていることについての感想、生活している中で考えたこと。

 

現代人は考え過ぎだとよく言われますけど、どうせほっといても浮かんでくる思考ならば、せめて有効活用できるように、形を整えてあげたい。

 

単なる思考の断片ではなくて。

 

それゆえ、小さいメモ帳よりは、ある程度の広さのあるノートや野帳がいいでしょう。

 

もちろん、最初はうまく書けなくても、書いているうちに、続けている間に、次第に長文が書けるようになるものです。

 

あるいは、図などの方が先に浮かんだら、図式してもかまわない。

 

その図を誰かに説明しようとすると、その説明が、文章になりますから。

 

頭の中には、うるさいくらいの思考がひしめき合っているそうです。

 

でもそのほとんどは、気づかれることなく消えてしまっているのかもしれません。

 

ならば、ちょいと言葉化を施して、まとまりのある文章として定着させてみませんか。

 

自分の思考や視点を鍛える効果も期待できそうです。