手帳を開いて2020年の自分を拓こう
こんにちは。
てらぴーだよ。
お天気下り坂の夜に、手帳の時間です。
今日1日を丁寧に振り返りましょう。
手帳は、あなたにとってのなんであるか?
手帳がなくても生きていけますか?
まあ、たいていの勤め人なら、職場に行けば、何をするのかはわかるでしょう。
毎日同じような仕事だったら、「スケジュール」として書かなくてもいいかも。
一方、1日に新たなタスクが10件もあるとか、アポが10件入っているとか、そんなのは珍しいのではないかと思います。
そういうのが連日で、そのことが日常業務なのだとしたら、忘れないための工夫みたいなのが、職場でなされていなきゃ困るでしょう。
なので、手帳がなくてもなんとかなる、とは言えるのではないか。
手帳イコールスケジュール管理だと、そういうことになりますまいか。
プライベートでも、連日場所を変えて飲み会があるという忙しさであれば別ですが、メモだけでもなんとかなるとは言えましょう。
でも、手帳の役目はそれだけ、つまりスケジュール管理だけに限定されるものではありません。
手帳には、二つの時間軸があります。
自分が生きた証しを残す今日これまでの時間軸と、これからどうしたいのかを決める今日これからの時間軸。
「これまで」と「これから」
つながっているようで切り離してもいい二つの方向性。
「今」はすぐに「これまで」に変わっていくので、捕まえるのが困難です。
もう、どんどん「過去」になっていくのですから。
今のことを書いている間に、その書いていることがどんどん過去の話になっていく。
「今」って薄いよね。
それはともかく、「今」の姿は「これまで」の延長線上にあるのは確か。
さっきお風呂に入ったのなら、今「お風呂に入った自分」がいるはず。
きれいになって(汚れてなくて)下着から何から着替えてくつろいでいる自分がいるはずです。
同様に、今自分がどんなことろに住んでいるのかも、「これまで」の経緯というものが決めました。
同様に、今自分が何を考えて生きているのかも、「これまで」の積み重ねに負ってます。
けっして「過去」から遊離して「今」があるわけではない。
対して「これから」は、「今」にしがみつかなくてもいい。
「今」がこうだから、明日からもこうだ、なんて保証はないのです。
また、根拠にすらならない。
「今」がこれこれなので、お前の未来はこの範囲だ、なんて限定もされない。
でも、だからと言って、どの方向に行けばいいのか。
ほとんどの人は、「今までこうしてきた」から、延長線を望むみたいです。
今会社勤めだから、定年まで通うなどとどこかで決めてませんか。
公務員ならなおさら、このまま定年までというラインが引かれている(ように錯覚している)
そうなる人もいるし、そうならない人もいる。
たぶん今が変化の時代だというのは当たっていると思います。
てらぴーが学生の頃から、ということは40年ぐらい、「変化の時代だ」なんて言われてきたのですけれども、今回はどうやら本物らしい。
「延長線」が消えました。
ある意味自由になったのです。
自分の進路を自分で決めていいのですから。
でも、どうやればいいのかが分からない、「変化の時代」には、羅針盤がありませんから。
ていうか、羅針盤が使い物にならなくなっている。
「ナビ」のない時代を生きている、でもそれはまた、なんとワクワクすることでしょうか。
自分で「ナビ(羅針盤)」を作るのです。
それは四角い形をしています。
紙でできています。
筆記具で書き込めます。
自由に、好きなことを書いていいのです。
でも、期限がありました。
あと20日間です。
さあ、開きましょうか。
手帳を開くとは、未来を拓くことだったのです。