『福岡伸一、西田哲学を読む』(明石書店)、やっぱり難しいよ
こんにちは。
てらぴーだよ。
あなたもてらぴーも、生きてます。
生きているので、例えば呼吸をしています。
口や鼻から空気を吸って、出してます。
口や鼻だけでなく、体全体の皮膚からも、皮膚呼吸をしています。
なので、全身金ラメにしたりすると、皮膚呼吸ができなくなって、数時間で死んでしまうのだそうです。
背中などに大きく刺青を入れると、その分寿命が縮むのだとか。
公衆浴場には入れず、寿命も短くなるなんて、絵人間(©︎吉田戦車)の人はなんてかわいそう。
呼吸だけでなく、生きていれば食事もします。
食べ物を入れて、そして、出します。
それから、生きている以上、日々細胞分裂が行われています。
最近の研究では40兆(以前は60兆でした)の細胞が、部位によって日数が違うそうですが、死滅する一方で新しく生まれています。
ですから、人は、一年も経つと、すっかり新しい細胞に変わってしまうのだそうです。
つまり、私たちの体は、日々入れ替わっています。
日々、動いている。
何かが入って何かが出て行く、そのような動的な仕組みにあるのです。
仏教で言うところの、「諸行無常」。
一瞬たりとも同じではない。
もしあなたの赤血球に番号が振られれば、その赤血球は時間が経つにつれて、あなたの体の中を動きます。
一瞬でも同じ場所に止まっていることはありません。
一瞬前のあなたとは、だから、同じではない。
けれども、不思議なことに、いつまで経ってもあなたです。
細胞が分裂して、新しく入れ替わっても、相変わらずあなたです。
右手だけが細胞分裂しすぎておおきくなった、ということもありません。
一重だった目が、二重になったと言うこともないのです。(なって欲しいけど)
あなたはいつまでもあなたです。
こうして、生き物は、常に「構成要素」を変えながら、いつまでも自分であるという在り方が変わりません。
このことを、福岡ハカセは「動的平衡」と呼んでいるのだと理解しています。
動的平衡、ダイナミック・イクイリブリアム。
従って、生命は次のように定義されるのです。
「生命とは、動的平衡にある流れである。」
ところが、この考えが、そのまま、西田幾多郎の思想と重なるのだ、というのです。
つまり、動的平衡とは、西田哲学の中心をなす術語「絶対矛盾的自己同一」なのだ、と。
そのような観点から、西田哲学を読み解いたのが、『福岡伸一、西田哲学を読む』。
哲学者・池田義昭さんとの対談でまとめられてます。
対談なので、難解な哲学書に比べれば、読みやすい。
西田幾多郎のテキストを福岡ハカセが読み解いて、池田先生が解説をする。
それはまるで、哲学ゼミ。
西田の術語や文章を福岡ハカセが言い換えていく、そのくだりは大変にわかりやすい。
文章の読解というのは、やはり、言い換えなのだなと思わせてくれます。
過去にあったことも、未来に起こることも、今の体に含まれています。
そして、どこまでいっても自分なのです。
そうした、自分であることは、何によって保証されているのでしょう。
「ロゴス」と「ピュシス」の取り扱いが、難しゅうございました。