かつて、バイブルサイズのシステム手帳のバブルがあったとさ

こんにちは。

 

てらぴーだよ。

 

冬の到来を実感している夜に、手帳の時間です。

 

今日1日を丁寧に振り返りましょう。

 

全身冬モード。

 

そのかなりの部分が、フリースだったりします。

 

その昔、防寒の衣類と言えば、毛糸のセーターだったり、高価ではあったもののダウンだったり、中綿であったり、あるいはラクダの股引であったりしたものですが、今やフリースのおかげで、着ぶくれすることもなく、快適に冬を過ごせてます。

 

技術の進展で、生活が一変するというのも、科学の時代ならではのことなのでしょう。

 

技術的な進化がどれほどあったのかははなはだ不明ながら、手帳にだって、時代的な変遷は起きております。

 

その昔、おおざっぱに時代を区切るなら昭和の時代、「手帳」というのは、銀行や得意先から年末にもらう、背広の胸ポケットに入る小型のあれでした。

 

しかも背表紙のところがまあるく開いていて、そこにミニサイズの鉛筆を入れておける。

 

そして、記入するのは仕事上のことだけ。

 

おしまいには、おまけと称して、日本の鉄道路線図やキロメートルを里なんかに換算する早見表みたいのがついておりました。

 

プライベートなことは、日記に記すという住み分けが当たり前でした。

 

ですからその時分は、能率手帳のスタンダードなものが手帳の中の手帳、ミスター手帳だったのです。

 

そうした時代だったので、手帳本と言っても、吉川弘文館の歴史手帳とか、マニアックな手帳を紹介するようなものでした。

 

「この手帳が使いやすいから使ってみたら」といった紹介ではなく、「世の中にはこんな手帳がありますよ」という、博物学的な装いだったのです。

 

そうした、手帳といえば高橋か能率手帳という、いわば太平の世に、現れるのは決まって「黒船」、海外からの何やら新しいものです。

 

時はバブル前の1980年代半ば。

 

きわめてハイになった一人のジャーナリスト?が、ハイになったまま紹介したのが、エゲレスのシステム手帳、「ファイロファックス」でありました。

 

それまで、バインダーの手帳と言えば、ルーズリーフ式のものか、今は無き「奈良コンピュータシステム」の「システムダイアリー」ぐらいなもの。

 

しかるに、ルーズリーフ式は、A5もしくはB5なので、背広の内ポケットには入らず、システムダイアリーは今一つ買えるお店が限られてました。

 

そこへ、胸ポケットには入らず、なおかつA5といった判型からもはみ出している、いわゆるバイブルサイズの手帳が現れたのです。

 

ちなみにこの「バイブルサイズ」、規格の名前ではありません。

 

僕の記憶が正しければ、ファイロファックスを日本に紹介した山根一眞さんが、そのご著書で、「この用紙の大きさは多分聖書に倣ったものでは」ということで使い始め、そして広がっていったのだと思います。

 

用紙を自分で組み合わせられる、というところがヒットしたのでしょうか。

 

バイブルサイズのシステム手帳のバブリーな流行が始まります。

 

この時は、中の紙だけでなく、アクセサリーも、なぜか充実。

 

カード式の文具などが、文具売り場の一角を占めておりました。

 

今でもよく見る、バイブルサイズのチャック式の物入のケースとか、カードを入れられるシートとか。

 

リングのせいで紙が巻き込まれるのを防ぐプロテクター。

 

カードサイズの平べったいハンコ。

 

角っ子にくるくる回るリングみたいのがついていて、転がして距離、長さを測れるカード式の文具。

 

カードケースから取り出して、カタンカタンと組み立てると、「望遠鏡」みたいになるカード式の文具。

 

少し厚手のプラスチックのカードの中に、ミニサイズの平たいボールペンがおさまっていたり、とにかく、カードの大きさのいろんな文具や文具じゃないだろってものが、アドホック(新宿)の2階にはあふれてました。

 

ほどなく、システム手帳のバブルもはじけ、でも最近また流行りそうな予感。

 

流行ったり廃れたり、根強く生き残ったり、手帳はその姿をいろいろに変えて、私たちに、自分と向き合いなよと教えてくれているのかもしれません。

 

結局のところ、思考も意識も行動も、自分が何を求めているのかをあぶりだすような方向で動いているのではないかと思うのです。

 

スケジュール帳や備忘録にしか過ぎなかった「手帳」が、羅針盤となって、あなたのそばに寄り添っているのです。

 

今夜も手帳とご相談。

 

それは案外と、贅沢な時間なのかもしれません。